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同調が転じて極端なバッシングにも

 逆にこうした同調愛が極端なバッシングにつながるのも日本社会の特徴だ。芸能人やスポーツ選手の不倫などの不祥事に対する激しいバッシングも、みんながディスると嵩にかかって責め立てる。それもみんなが「ひどいね」となると自分もついでに「ひどいね」を押すことによって存在価値を保つのにも似ている。

 芸能人やスポーツ選手が何も聖人君子であるはずもないが、こうした不祥事を知るとむらむらと正義感が沸き起こり、社会から抹殺しようとするのは、日本では特に顕著である。

 大谷選手の対極にあるのが藤浪選手かもしれない。同じように大リーグに挑戦する姿は、結果が出ていない現状とはいえ、誰からも批判される対象ではないはずだ。結果はプロである以上彼が背負えばよい話であり、「ちきしょう、失敗した」(と思うかどうかは別として)と言えるのは彼を採用した球団側の話だろう。彼が何か悪いことをしたわけでももちろんないはずだ。さらには彼のことを個人的に知っているわけでもないのに、「性格が悪い」だの「コーチの言うことを聞かないからだ」などと知りもしないこと(誰かがネット上でつぶやいたこと)までネット上で言葉を吐き散らかすのは、みんながディスっていることに対して自分も一枚加わることで安心を得ているのである。

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 このようにみてくると、どうも日本社会は海の中の世界でいえば、小魚がもっと大きな魚からの襲撃からひたすら身を守るために群れを作って泳いでいる姿に重なる。どこに向かって泳いでいくかについては多くの小魚は気づいてはいない。だが群れの動くほうへひたすら集団から遅れないようについていくことに安心・安全を重ね合わせているのだ。日本にリーダー像が見えなくなって久しいのは小魚の群れ化の象徴なのであろう。

写真はイメージ ©iStock.com

 失われた30年の間に、方向性を見失った日本人は身を寄せ合って生きている。だから泳ぐ方向から逸脱してはならないし、「逸脱しようよ」などと言い出そうものなら群れから仲間外れにされるのである。小魚それぞれが物事を判断したり、考えたりしては群れが保てないのだ。以前は群れを逸脱するどころか、餌(プランクトン)が豊富な新しい環境の海を見つけ、そこに群れを導く魚たちがいたのであろうが、日本を率いる政治家も企業も少なくなってしまっているのが今の日本社会なのである。そんな社会での同調は、何も圧力などではない、そうせざるを得ず、またそうすることが安心安全なのだとひたすら信じる姿なのかもしれない。