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「雪崩の起きた地点と訓練をやった地点が非常に離れている――その地形がまっすぐストレートではないから、下の刺激と上の切断は関係なし」のメモを読んだ。中島は、誰もいない事務所で、「この宮本の言い分を論破しつくさなければ――これが核心だ」と見定めた。

中島弁護士は宮本証言への反証を提出

 3月下旬、中島は、日本雪氷学会の雪崩分科会会長の新田隆三を松本に招き、特別講義を受けた。新田は、スイス雪崩研究所の研究員となった折り入手したスイスの山岳ガイド、ヴェルナー・ムンターの『新雪崩学』という厚い本を、中島の前に開いてみせた。

 それまでの日本では“温度が高いと雪崩れる”“雪崩は上から落ちてくる”などと言い伝えられてきたが、これは迷信に近いものであると新田は断じた。その上でさらに力を込めて話しはじめた。

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「今、中島さんが説明なさった研修会当日のこの斜面に沿って考えてみましょう。

 下部の登山者の歩行刺激と、上部の切断は一見無関係に見えるけれど、実は、積雪内部で図のような刺激伝達が発生するのですよ。積雪内部の弱層を伝って上部のストレスの一番強いところで2次破壊を起こす。登山者の歩行による刺激は、70cm下まで積雪内部に伝わり、そこまでに弱層があれば上部150mまで刺激は伝達し、雪崩発生のキッカケとなります」

W・ムンター著『新雪崩学』中の説明図を簡略化した「雪崩遠隔誘発図」。人が起こした刺激が積雪内部の「弱層」を伝って上部のストレスの強いところで2次破壊を起こし、雪崩のキッカケとなる。

 中島は、この講義で、すべてが明快になった。表層雪崩の遠隔誘発のメカニズムをまとめて宮本証言への反証として準備書面にし、4月に入ると裁判所に提出した。被告側証人の強弁の前に立たされた中島弁護士の雪崩論は、こうして一歩前進した。

 実は、これが判決で、雪崩発生の原因判定の要となったのである。

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中山建生の証言が判決の核心に

 判決文は、長きにわたったが核心部を要約すると、次のようになる。

 雪崩による事故を回避すべき注意義務を負っていた被告は、それを結果的に怠ったと認定。また、被告側が自然発生の雪崩で不可抗力と主張したのに対して、本件訓練斜面の地形、積雪量から雪崩の発生が否定しがたい時、横一列、ワカン歩行、もがき登高が積雪に強い刺激を与えたことが認められ、これは、雪崩発生の原因をつくることとなり、死亡事故を導いたとした。

 2年前、中山建生(編注:雪崩事故防止講習会を長く主催してきた勤労者山岳連盟に所属)が雪崩教育者として法廷に立った時の証言がほぼ採用されていた。「日本の山での行動中に起きた雪崩遭難事故の半ば以上は、人為的誘発が原因。人為的条件(トラバース(※1)・転倒・ラッセル(※2))が積雪内部の見えない亀裂に影響を与え、かなり離れた上部斜面において雪崩を起こす」という証言が、この判決の核心となっていた。

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※1 斜面を横切ること

※2 雪を掻き分け踏み分けて、道を開きながら進むこと