雪崩の原因について「気温が高くなり雪がゆるんで起きる」など、自然に起きるものとして捉えている人は多い。しかし、長野県の五竜岳遠見尾根で起きた雪崩事故をめぐる裁判で「雪崩事故はほんとうに自然災害なのか」が問われたことを知っている人は、どれほどいるだろうか。

 事故は1989年3月18日、長野県山岳総合センターが主催し、県立高校山岳部の生徒24名と顧問教師6名を対象にした雪山研修会で起きた。ワカン(雪上歩行具・輪カンジキの略)をつけての歩行訓練をする中、先導する宮本義彦講師と顧問教諭6名が、突如として雪崩に見舞われたのだ。

 ここでは、山岳ルポルタージュ作家であり、自らも「のらくろ岳友会」として山行を続ける泉康子さんがまとめた『天災か人災か? 松本雪崩裁判の真実』(言視舎)から、一部加筆修正を行い抜粋。事故が起きた当時の混乱の様子と、被害者遺族が真相究明に立ち向かうことを決めた瞬間について紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)

ADVERTISEMENT

©AFLO

◆◆◆

「なんだろう」と思った瞬間、いきなり足元が動きはじめた

 山岳部顧問の教員たちを率いる1班の宮本義彦講師は、一度選んだ雪面の雪が少なかったため移動して、訓練地を一番東側の急斜面に変えた。各校からの新人を含む6名の山岳部顧問が、幅10mほどの斜面に横一列に並び、宮本講師が先導した。5m後方から、今井、田中、関、福島、赤羽、酒井教諭が横一列に並び、ラッセル(雪を掻き分け踏み分けて、道を開きながら進む)をはじめた。

 福島伸一は、これまでにワカン歩行の経験があったので、宮本講師の呼吸とほぼ同じ早さであとを追った。登りはじめて二息目ほどで、福島はちょっと立ちどまった。すると、上のほうからスノーボールが落ちてきた。2、3個ではない、野球の球とバレーボールの中間ぐらいの大きさだった。「なんだろう」と思った瞬間、いきなり足元が動きはじめた。のっているジュウタンを引っぱられるような感触の最中、宮本講師の「やばい!」という声を聞いた。それは「雪崩だ」などという認知の言葉ではなく、もっと本能的に口を突いて出た声だった。

地響きなどはなく、雪と雪が擦れる音だけ

 全身が2回転する間、福島は、これは雪崩なんだということがチラっと頭をかすめた。雪がドンと止まった。足をひねった。しかし幸いにも、手と首が雪上に出ていた。周囲には何も見えなかった。「二度目の雪崩が来たら、僕も埋まる」と恐怖感が湧き上がった。谷側に固定された福島の眼に見えるのは、累々(るいるい)としたデブリ(雪崩で堆積した雪塊)だった。今まで一緒に歩いていたはずの誰もいなかった。雪崩によって搔き消された音。