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お2人の「結婚の儀」は皇居内の賢所(かしこどころ)で行われた。当時の宮澤喜一首相ら参列した812人は賢所の前庭にある幄舎や東回廊に着席。午前10時過ぎ、黒の垂纓(すいえい)の冠に黄丹袍の束帯姿の天皇陛下が笏を手にして回廊へ進み出ると、その後ろから十二単と金の髪飾りを身に着け、檜扇を持った雅子さまが現れた。
「重さ15キロほどある十二単の着付けや、髪を『おすべらかし』と呼ばれる独特な形に結うために、この日雅子さまは4時すぎに起床したといいます。6時すぎには東宮侍従長らが小和田邸に迎えに上がり、ご家族に見送られて実家を旅立ちました。雅子さまは前夜、ご両親や2人の妹さんに小物入れやアクセサリーをプレゼントされています」(別の皇室記者)
「末永く仲良く暮らすことを誓う」告文を読み上げる
回廊を進む姿はNHKが中継したが、内陣に入るとお2人は参列者からもカメラからも姿は見えなくなる。神前に玉串を捧げて拝礼を行なった後に、天皇陛下が万葉仮名で書かれた告文(つげぶみ)を読み上げた。
「告文の内容は『末永く仲良く暮らすことを誓う』といったものです。このときは外で待つ出席者も起立していましたが、当日は前夜からの大雨が続いていて、屋根に跳ねる雨音もあってか内陣の声は聞こえなかったそうです。その後外陣でお神酒を飲み、儀式は終了。この間約15分でした。雅子さまはとても堂々とした雰囲気でした」(同前)
雅子さまの覚悟は、リハーサルにあたる数日前の習礼(しゅらい)の場でも垣間見えたという。当時、祭祀の実務を担当する掌典補として雅子さまの先導を務めた三木(そうぎ)善明氏が当時を懐かしそうに振り返る。