不思議と「さみしい」気持ちはない。目の前にきたビッグチャンスをつかむのか。それとも弱肉強食の競争に負けてしまうのか。25歳で早々に訪れた郡司裕也の分岐点。今後の彼の歩みを一人のプロ野球ファンとして心から楽しみしている。
「郡司のことを嫌いっていう人いませんから」
6月19日、中日・郡司、山本拓実と、日本ハム・宇佐見真吾、齋藤綱記の2対2のトレードが成立。不動の正捕手・木下拓哉の右手骨折で経験のある捕手不在のピンチが訪れ、中日側が積極的に動いた。日本ハム側もかねてから郡司、山本の能力を高評価し、動向に注目していた。浮いては消える移籍話。その中で、双方のマッチポイントがこのタイミングで生まれた。立浪監督は「望まれていく選手でもある。なかなかドラゴンズでは出場する機会も少なかったんで、これをチャンスだと思って欲しい。打力をいかしてほしい」と送りだした。郡司も「チャンスは広がる。細川(成也)とかを見ていると環境が変われば激変するパターンもある。そんな自分に期待したい」と語り、意気揚々と新たな一歩を踏み出した。
19年に慶大からドラフト4位で入団。令和最初の六大学三冠王をひっさげ、コロナ禍で遅れた開幕1軍にも入り、6戦目では岡野祐一郎と新人バッテリーも組んだ。30試合で、打率1割5分6厘と壁にはぶつかったが、木下拓哉や加藤匠馬、石橋康太、桂依央利、大野奨太、アリエル・マルティネスと競争した。3年目には、打力を生かすため外野や一塁にも挑戦。2軍では圧倒的な成績で誰もが認める打撃センスを持ちながら、1軍の舞台ではなかなか発揮できないもどかしい日々が続いた。打開策を探るため、昨年12月には、オフに同じグラウンドで練習していた日本ハム・松本剛に打撃のアドバイスをもらって磨きもかけている。
記者との出会いはルーキーイヤーのキャンプだった。仙台育英高の先輩でもある梅津晃大と沖縄のステーキ店で食事をともにした。先輩右腕がさかんに言っていたのは「郡司のことを嫌いっていう人いませんから」。礼儀を保ちながら先輩、後輩の垣根は低く、特にチームメイトから愛された。
ナゴヤ球場に別れの挨拶に来たとき、同級生で仲が良く、郡司モデルのバットを使う三好大倫は「郡司いなくなるのはさみしいっすわ……」と小声でつぶやき、3学年下の田中幹也は「唯一の友達がいなくなっちゃう……」と半泣きになっていた。しかし、なれ合っていたかと言うとそうでもない。郡司を可愛がっていた高橋周平からは以前「あいつ、ああ見えて一匹狼っていうか、みんなと仲は良いけど、意外に誰ともつるまない。そういうところがいい」と聞いたことがあった。
究極のポジティブ思考。SNSで「普通にする」というエゴサーチをして、悪質なことを書かれても「おもしろ!」と笑い飛ばす。
そんな郡司から一度だけ弱音を聞いたことがある。立浪新体制になった22年。郡司はキャンプ1軍スタートを決めながら、直前で新型コロナに感染し大きく出遅れ、新チームの波に乗れなかった。3月のオープン戦で同じ遠征先だったこともあり、2軍から1軍に急きょ呼ばれたが、与えられた代打での1打席で結果が残せず、そのまま2軍へUターン。
その日の夜、「なんか、今年ツイてないっすね……」とメッセージが届いた。「滝行でもいく?」と聞くと「いきましょか!」と返信があった。しばし、2人で解決方法を探ってみたが、最終的には「地道にやっていくしかない」と原点に着地した。今回のトレードにもネガティブワードは一切なく、千葉の実家にいる母の純子さんにも「別れた彼女のことをぐちぐち言うのはかっこ悪い」と、裕也節をさく裂させていたらしい。