なぜ中高生にもウケたのか
ただし課題として示される「自分の得意な事を人に聞く」は、日本のビジネスパースンに信奉者が多い思想家ピーター・ドラッカーなどが言う「強みの上に築け」だし、「一日何かをやめてみる」は『7つの習慣』やこれまたドラッカーなどが言う「劣後順位を付けて計画的に何かをやめないと、高付加価値を生み出す時間が作れない」という話だ。
つまり、これまでビジネス書や自己啓発本でさんざん言われてきた要点をライトにまとめたのが『夢ゾウ』である。誰でもすぐにできそうなことだけ示すその軽さゆえに「競争社会を勝ち抜け」「成功したいならこれをやれ」といった「圧」や面倒くささを感じさせない。これが「読む前に得られる感情がわかり、読みやすい」ものを求め、自己肯定感が低い中高生に拒絶されない理由だろう。
『夢ゾウ』で主人公を導くガネーシャは、松下幸之助やアンドリュー・カーネギーなどのような成功者に対して上から目線で「あいつらに教えたったわ」というようなことを言うが、ガネーシャ自身はあんみつに異様に固執したり、自分のことを褒めてくれないとすぐにすねたりする物欲や承認欲求にまみれた俗物である。だから主人公はガネーシャに対して半信半疑だ。
しかし主人公は「成功したい」という思いをもっているがゆえに、うさんくささを感じながらもガネーシャの言うことに従う。この「疑いと期待の同居」は、成功本や自己啓発本を手にしている多くの人の態度そのものである。水野自身が、かつて自己啓発本や恋愛指南本を手に取っていたころに「なぜお金を払って他人の自慢話を聞かなければならないのか」「誰も『本当かよ』とツッコミを入れない」などと感じつつも、成功したい一心で読みあさっていた過去をもっている。そこから、懐疑や茶化しが織り込まれた自己啓発小説という『夢ゾウ』スタイルができている。
自らの心の弱さ、みじめさ、コンプレックスを隠さず、成功者への憧れとやっかみ、自分もそちら側に行きたいという願望と、「そうなれるわけがない」というあきらめが同居し、世俗的な価値観に何の疑いも抱いていない意識高い系をバカにもするというねじれた気持ちが『夢ゾウ』シリーズには詰まっている。「思春期の自意識、反抗心、本音に訴える」面がある。と同時に「陰キャの自己慰撫」的な側面も、このシリーズはもっている。
さらに興味深いことに、このシリーズは「夢をかなえる」方法について書いてあると思われがちだが、ド直球な内容は第1巻だけだ。第2巻以降はシリーズを通じて第1巻の自己否定や補足、別の道を示すことを続けていく。
第2巻は脱サラしてお笑い芸人になったものの才能がなくてくすぶっている主人公・西野のもとにガネーシャが降臨する話だが、ここでは「自分の夢を追うのではなく、誰かの夢を助けるという道もある」と示される。