第3巻は24万円もする黒いガネーシャ像を買った、パワースポットやパワーストーンに課金しまくっている女性のもとにブラックガネーシャが現れ、スピリチュアル系(スピ系)で言われているような耳ざわりのいいフレーズを真に受けているだけでは夢をかなえることは不可能だと突きつける。夢をかなえるためには「痛み」が必要だと説くのだ。
ブラックガネーシャは主人公に対して苦手なことや合わない人、気まずいことに向き合わせ、ぬるま湯のような人間関係を絶たせていく。「努力しなくても成功できる」「働かなくてもお金持ちになれる」といった考えを徹底的に否定する。
第4巻は、第3巻の「ヌルいスピ系/自己啓発ビジネス」批判をある意味でさらに発展させ、このシリーズの自己否定とすら言えるテーマ「夢を手放す」に至る。妻子ある男性が余命いくばくもないことを告げられ、残りの人生で何ができるかを考えていくという物語だ。人間の欲望には際限がなく、成功者にも満足しきって亡くなった人はいないこと、人生には夢をあきらめ、現実と向き合い、今を肯定するときも必要になることを説いていく。
『夢ゾウ0』では「夢がない」若者が主人公になる。会社でスティーブ・ジョブズにかぶれた上司から「お前の夢は何?」といつも詰められ「ドリームハラスメント」を受けている自己肯定感の低い若手社会人である主人公が、自分と折り合いを付けながら夢の見つけ方を知っていく――主人公は夢を見つけるものの、作中では「夢は無理に持たずともいい」とも説かれるのが白眉である。
誠実とも巧妙とも言える『夢ゾウ』シリーズ
『夢ゾウ』はシリーズを通じて「『自分の夢をかなえる』以外のオルタナティブな道がある」「成功しても幸せになれるとは限らない」と言って夢を相対化していく。こうしてしまえば成功本につきものの「結局、ほとんどの人はあなたのようにうまくいかないですよね?」という違和感にはつながらない。人生がうまくいっても、うまくいかなくても、能力があってもなくても、シリーズ全作読めば誰でもどこかしらに引っかかって救われるような多段式クッションになっているのだ。見方によって誠実とも巧妙(狡猾)とも言える展開である。
自信はないがそれでも夢を追いたい人は第1巻を読み、夢を追うことには懐疑的だがそういう生き方を斜に構えて嘲ることもできない人たちは、第2巻以降のどれかを読めば刺さるものがある。必ずしも「上」をめざさないが「生き方」を示すというゆるい自己啓発であり、同時にアンチ自己啓発でもあることがこのシリーズの特徴だ。それが、自己評価の低い(とくに若い)人間の心をつかむのだろう。
「競争から降りる」ことを選ぶ「陰キャの自己慰撫」と、「夢を見つけてかなえる」をめざす『聖域』の中間的な存在が『夢ゾウ』なのである。