投手根尾昂が誕生して1年が経った。去年6月21日、中日は根尾の登録を野手から投手に変更。この時の心境はどうだったのか。

「立浪(和義)監督とは何度も話をしていました。僕の一番適しているところはどこかという話です。最終的には札幌ドームの日本ハム戦の試合前練習で『交流戦明けからピッチャーで勝負するか』と登録変更も含めて言われました。やるしかないと思いましたし、気持ちはスッキリでした。腹を括りました」

 すでに野手として3試合に登板していたが、投手登録後も主に救援で25試合0勝0敗防御率3.41。7月の阪神戦で初ホールドを挙げ、10月の広島戦で初先発も経験。シーズン終了後のみやざきフェニックス・リーグからは本格的に先発挑戦が始まった。

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「去年は技術うんぬんではなく、バッターを抑えたい気持ちだけで投げていました。今思うと、もっとこうすれば良かったというところがある反面、無意識にできていた部分も多かったです」

 最後の言葉が引っ掛かった。無意識にできていたことができなくなったのか。そう、根尾は昨オフから決して順調とは言えない道を歩んでいる。これまで少なくとも3回のブレーキがあったと私は思う。その全てに触れた。

根尾昂 ©時事通信社

「投手として一番大切なことを見失っていたんです」

 まずは去年の秋季キャンプだ。北谷球場のブルペンで制球力を試すストライクテストが行われたが、根尾はコントロールを乱し、落合英二ヘッド兼投手コーチは「投げるレベルじゃない」とテストを受けさせず、普通の投球練習に切り替えた。根尾は「投げるのが下手くそだったからです」と一言で振り返ったが、踏み込むと、詳しく教えてくれた。

「技術が伴っていないのに自分のやりたいことを求めすぎて、投手として一番大切なことを見失っていたんです。要は新しい球種を増やそうとした結果、ストレートの投げ方がバラバラになりました。上半身と下半身が合わなくなったんです。無意識で投げられていた真っ直ぐが投げられず、ずっと気持ち悪いままでした」

 窮地に立った時こそ根尾は前を向く。

「原因は明らかに投球フォームだったので、改善に着手しました。色々と試しました。でも、『どこを直したのか』と聞かれても、僕は『ここです』とはっきり言えないんです。ピッチングは動き出しからフィニッシュまで一連の動作ですし、かなり感覚的なものがあるので」

 最後の言葉が気になった。根尾と言えば、頭脳明晰。全てを頭で理解し、言語化するタイプと思いきや、感覚派なのだ。しかも、その感覚を養うには人一倍の反復練習が必要で、体に染み込ませるまで長い時間がかかるという。何でもすぐできる天才ではなく、不器用な努力家なのだ。

「アメリカ自主トレから帰ってきて、ナゴヤ球場で木下(拓哉)さんに受けてもらっていた1月下旬くらいですかね。やっと良い感覚が掴めました」

 迎えた春季キャンプ。2回目の躓きがあった。打撃投手として福田永将、堂上直倫に投げたが、ボールが続き、福田には死球を当てる乱調だった。

「自分にイライラしました」

 約3カ月かけて改良したものが突如狂った。しかし、根尾は前を向き、苛立ちも力に変え、できることに集中した。

「投げることは投げることでしか覚えられません。全体練習が終わった後、ほぼ毎日1かご(約300球)はネットスローで投げていました。投げているうちに『これを続けたい』という感覚も出てきました。肩や肘は全く痛めませんでしたね」

 いくら投げても壊れない強靭な体に驚いた。成果は次第に表れ、キャンプ後に状態は良化。ウエスタン・リーグ開幕戦からリリーフ登板を重ね、立浪監督も一軍開幕前に「根尾は中継ぎに何かあった時の一番手」と評価していた。