なぜ同じ山口組系列の密売所を襲ったのか
一方でわざわざ同じ系列の組を襲うのにはやむを得ない理由もあった。他団体や独立組織の関係先を襲えば、大きな抗争になる可能性もある。
西成には山口組と大阪戦争を戦った松田連合や田岡一雄組長を襲撃したベラミ事件を引き起こした大日本正義団など凶暴な独立系組織も顔を利かし、山口組と肩を並べていたため、下手な火種は組を巻き込んだ大事件に発展しかねず、同列の組織を選ぶほうが後々のリスクは低いとも言える。
とはいえ、我々マトリに探りを入れ、同じ系列を襲うという男の手法は、たとえ個人の暴走だったとしてもヤクザというよりギャングの仕業と言ったほうがしっくりくる。
思い返すと1970年代は第2次覚醒剤蔓延の初期ではあったものの、ある種のヤクザとしての矜持もまた色濃く残っていたように感じる。
山口組の直系組織だった福田留吉組長もその一人だった。福田組は田岡三代目が違法薬物撲滅を宣言する中、同じ山口組の傘下でありながら西成で覚醒剤の密売を行っていたとして知られる組織だった。福田組が他の末端組織と一線を画す所以はそれらのシノギを山口組上層部にもさほど隠すようなそぶりを見せず、堂々と行っていたからだったという。
当時の福田組長の下には黒竜総業(後の黒竜会)の山本竜五郎など七人衆と呼ばれる右腕が並んでいた。福田組長引退後、七人衆の一人の持つ組の幹部がシャブの密売で逮捕されたことがあった。すると現役の組長自らが捜査員のところまで来て「うちの若い衆が迷惑をかけた、すんまへん」と挨拶に訪れることも少なくなかった。「どうしてトップ自ら挨拶にくるのか」という私の疑問に「福田親分の教えだろう。福田組長は昔気質のヤクザだった」と先輩が口にしたのが今でも記憶に残っている。
大分出身の福田組長は柳川次郎率いる柳川組に所属していた過去を持つ人物である。柳川組長は青年期を大分・中津で過ごしたことで知られている。もしかするとこの福田組一門の所作は九州ヤクザならではの気質から来るものなのかもしれない。
刺青で眉毛を極太にする九州ヤクザ
実際、当時の西成には九州出身のヤクザが多かった印象を持つ。私自身も福岡県で育ったため、九州生まれのヤクザを見分ける方法は比較的身についていた。