その一つが眉紋である。眉紋とは福岡県の中央部分に位置する筑豊炭田で働いていた炭鉱労働者、その中でも荒くれ者や川筋ヤクザと呼ばれた筑豊地域(遠賀川流域)のヤクザの間で一時期好まれた刺青の風習である。刺青で眉毛を極太にするわけだ。
配属当初、西成に足を踏み入れて驚いたのがこの眉紋を彫ったヤクザが多数いることだった。聞くと筑豊炭田が潰れたことで九州のヤクザや炭鉱労働者が大阪に出てきて、そのまま西成でヤクザになるケースが少なくないとのことだった。むしろ西成であれば眉紋者を入れてもらえるとわざわざ九州出身のヤクザたちが集まるような空気さえあった。実際、捜査でヤクザと接する際、私が福岡出身であることを告げると同郷だと心を開いてくれるヤクザも少なくなかった。
もっと言えば、関東のヤクザは朴訥で口が堅く、骨がある印象があり、反対に関西のヤクザは野心の塊のようなものを胸に抱えた人間が多かった。ヤクザ世界における風土は麻薬捜査を進める上でも重要な基礎知識であった。
私が所属していた近畿厚生局麻薬取締部は通称キンマと呼ばれ、関西のヤクザからも広く認知されていた。
「キンマが来れば高くつく」
そんなことを言う組員もいた。キンマに捕まればただでは終わらないという意味合いだった。
私自身、キンマという言葉(ブランド)の重さを知ったのは捜査員1年目のころだった。
駆け出しの私はある筋から西成のドヤの一室が密売所になっていると情報を得たことがあった。ドヤとは日雇い労働者たちの簡易宿泊所を指し、当時は高くても1泊1500円ほど、安いところであれば500円程度で泊まれていたが、密売所として使用されることがままあった。
「せっかくお前が情報取ってきたんや。捜査やろうか」
「兄ちゃんもモノ(覚醒剤)、一発分けてやぁ」
敬愛する先輩に伝えるとそんな返事があった。密売所とされる部屋はドヤの3階部分の部屋だったが、確認するとちょうど隣の部屋が空いているとのことだった。早速、部屋を借り、我々は密売所の監視を始めた。張り込みを始めて2日ほど経った時、ある一人の男がシャブを求めて、例の密売所を訪れたが、生憎の留守。すると男は向かいの部屋を訪ね、覚醒剤を売って欲しいと交渉を始めた。驚いたことにその部屋も密売所だったのだ。
「いやぁ、うちは1以下(1グラム以下)はやってへん」
ヤクザ風の売人はそう言って断ったが、何を思ったか、今度は2人して私のいる隣部屋のドアをノックする。