「なんでっか」
「兄ちゃんもモノ(覚醒剤)屋はじめてんねやろ。一発、分けてやぁ」
ドアから顔を出した私に一人がそう聞く。どうやら男は私も覚醒剤密売人だと思っているようだった。要は手持ちのシャブを分けてくれないかという直談判である。当然、こちらはしらばっくれるしかない。
「いや、シャブなんか知りませんわ」
「ほな、なんでここにおんねん」
今度は向かいの売人が凄みながらそう尋ねて来る。密売所だらけのドヤにいるのだから男の疑問はもっともではあるが、こちらも事情を話すわけにはいかない。私が捜査員だとバレればこれまでの努力が水の泡となる。
「俺がどこに泊まろうが勝手やろう!」
私がそう言い返すと、売人は「ほうか、わかったわい」と答え、その場を後にした。安心したのもつかの間、1時間ほどすると見るからにヤクザ者が3人、部屋に押し入ってきた。
「おんどれ、どこのモンじゃコラッ!」
「何してくれてんねん。これ、うちの若いもんや!」
よほどに見え透いた嘘だったのか、ヤクザたちはすっかり私が同業者だと思い込んでいた。組によって細かく島割りができている西成では断りもなく商売を始めるのは明らかなルール違反である。男らは今にも襲いかかろうかという剣幕で怒鳴り続けた。身の危険を考えれば、一刻も早くこの場を離れるしかなかった。ただし、窓から逃げ出そうにもここは3階である。高さを考えれば、危険極まりない。
私は強引に男の手を振り払うと部屋を飛び出し、玄関へ続く階段へと走った。階段を下り始めた時、追いかけてきた男らから背中に蹴りを入れられ、思わずバランスを崩す。そのまま派手な音を立て、頭と顔面を打ち付けながら段差を転がり落ちた。まさしく万事休すであった。
「お前、何してんねん」
階段下まで滑ると、覚えのある声が聞こえた。見上げると、先輩捜査員の姿があった。今回の捜査の許可を出してくれたその人である。先輩の隣にはなぜか山口組のある三次団体の若頭が立っていた。私の後に続いてきた男らも2人を見ると動きが止まった。
「何してくれてんねん。これ、うちの若いもんや!」
先輩がそう3人組に向かって言う。長く西成で薬物捜査を行っている先輩は界隈でも知られた存在だった。途端に男らに動揺の色が見える。
「ええっ! キンマでっか。えらいことしました。すんまへん、すんまへん!」
3人組はそう詫びると、そそくさとその場を後にした。