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知られざる皇室へのテロ行為

 天皇や皇族を標的にしたテロ行為は少なくない。歴史的にみれば大正12(1923)年、当時の皇太子だった裕仁親王(のちの昭和天皇)が狙撃された「虎ノ門事件」。弾は外れ、裕仁親王は無事だったが、時の山本権兵衛内閣は総辞職を余儀なくされた。また、昭和50(1975)年7月17日には、上皇さま(当時皇太子)が戦後初の沖縄訪問で糸満市のひめゆりの塔に献花しようと歩み寄られたところで、地下壕に潜んでいた新左翼系活動家の男2人が火炎瓶を投げつけた(ひめゆりの塔事件)。実は、近年でもこうしたテロ未遂は繰り返されている。

 平成4(1992)年10月4日、山形県総合運動公園陸上競技場で開催された第47回国民体育大会(国体)の開会式に出席されていた上皇さま(当時天皇)がお言葉を述べられていたところ、新左翼系活動家の男が「天皇は帰れ」「天皇訪中反対」などと叫んでグラウンドからロイヤルボックスにいた上皇ご夫妻に向けて発煙筒を投げつけた。発煙筒は上皇ご夫妻には届かずグラウンド内に落ちたため、ご夫妻には怪我もなく無事だった。男はすぐに取り押さえられたが、警衛体制の不備が問われ、山形県警防犯部長が辞表を提出している。

 平成15(2003)年7月4日早朝には、北海道富良野市の国道38号で、上皇ご夫妻(当時天皇皇后)の車列とすれ違った軽自動車が対向車線からUターンをして、猛スピードで後方から急接近。皇宮護衛官が運転する白バイ3台が両車両の間に割り込むなどして進路を塞いだが、1台が犯行車両と接触し弾みで上皇ご夫妻の車のフェンダーに接触した。軽自動車を運転していた男は公務執行妨害容疑の現行犯で逮捕された。ご夫妻は無事だったが、この際も処分が検討された。

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 警衛警備の一翼を担う皇宮警察本部での勤務経験がある元警察キャリアが振り返る。

「最終的には白バイ隊が接近を阻止することに成功していたことから、警察庁の佐藤英彦長官(当時)は記者会見で『責任を追及すべき怠慢は認められなかった』とコメントし、警察官への処分を見送ることを明らかにした。だが、警衛体制を見直す必要があると提言しています」

 ちなみに、ひめゆりの塔事件では、上皇さまは処分を希望しない旨を警察サイドに伝えられたが、沖縄県警本部長が詰め腹を切らされることとなって減給処分を下され、警察庁警備局の警備課長が辞表を提出した。実被害がなくとも、警察幹部が責任を問われるのが、警衛体制の不備の“落とし前”の付け方なのである。

 警視庁警備部の元幹部は皇族警備の本質についてこう述べる。

「警察法施行令に基づいて警衛についての規則を定めた国家公安委員会規則の『警衛要則』で、警衛は『天皇及び皇族の御身辺の安全を確保するとともに、歓送迎者の雑踏等による事故を防止することを本旨とする』と規定されていて、その主体はあくまでも『都道府県警察』で、『御身辺の直近の護衛及び御用邸内の警備は(中略)原則として皇宮警察が担当する』となっています。

秋篠宮ご一家(2022年11月、宮内庁提供)

 お代替わりに伴い、秋篠宮さまが皇位継承順位第1位の皇嗣に就任されたことで、秋篠宮家には秋篠宮さまと長男で皇位継承順位第2位の悠仁さまのお二方がおられる状況になりました。現在、皇位継承権を有するのはお二方に加え、上皇さまの弟に当たる常陸宮さまのお三方のみ。当然、秋篠宮家の警衛体制強化は喫緊の課題となっているのです」

 だが近年、その秋篠宮家をめぐって、いくつかの事件や事故が発生してしまっている。それが警衛の現状なのだ。宮家の内情をよく知る元皇宮護衛官が説明する。