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「この役を演るには脱がなければならない」

 行ってみればそこは面接会場で、いきなりセリフを渡されて読むよう言われたので戸惑いつつも、思うがままに読んだところ、第1次審査に受かったとすんなり告げられた。しかし、喜んだのもつかの間、マネージャーから「この役を演るには脱がなければならない」と伝えられる。

 じつは麻生は、芸能の仕事をするにあたり、絶対に脱がないと母親と約束していた。マネージャーもそれを知っていたので、あらかじめ彼女に言うとオーディションを受けないと考え、何も告げずに面接会場に連れてきたのだった。それでも彼女は1次審査後、周囲の人や母親とも何度か話し合ったうえ、《今村監督の作品だからきっと今までにない経験ができるだろうし、何か人生が変わりそうな予感がしたので》、出演を決める(麻生久美子『いろいろないろ』幻冬舎、2004年)。

麻生久美子 ©Getty

 麻生は自分が選ばれたのは「田舎の子だから」と考え、実際、今村監督にもそう言われたという(『いろいろないろ』)。千葉の片田舎で育った彼女は、川に入ったり崖に昇ったりと、野性味あふれる子供時代を送った。近所の池でザリガニを釣ってきては、茹でておやつとしてよく食べていた……というエピソードも、本人がテレビなどでたびたび話しており、わりとよく知られる。ちなみにその味は甘エビみたいだとか。

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 実家はけっして裕福ではなかったが、そのことを嫌だとはあまり感じていなかったという。今村監督もそんな生い立ちを聞いて、貧しいながらもたくましく生きるソノ子のイメージを重ね合わせ、彼女を抜擢したのだろう。

カンヌで絶賛された「水中シーン」

『カンゾー先生』の終盤では、麻生が目の前に現れたクジラを捕えようと海に飛びこむと、クジラに綱をつけて引っ張られるうちモンペが脱げ、尻をむき出しにしたまま水中をただよう姿が鮮烈な印象を与えた。カンヌ国際映画祭で上映されたときには、このシーンが絶賛されたという。国内でも、20歳にして日本アカデミー賞の最優秀助演女優賞をはじめ数々の賞に選ばれ、一躍脚光を浴びた。

©Getty

『カンゾー先生』出演時、今村監督から「映画に出続ける女優になってほしい」と言われたという。撮影中の監督の指導は厳しく、落ち込むことも多かった。それだけに、この言葉は胸に響き、その後も映画をメインに仕事をしていく決意をする。とはいえ、当時は映画が斜陽産業と呼ばれて久しく、いまほど日本映画がつくられていない時期であり、彼女の選択は無謀ともいえた。