犯罪に手を染めてしまった人たちの社会復帰を支援する、「保護司」という人たちがいる。対象者と定期的に面談をして、再犯しないように導く「保護観察」などが主な役割だ。

 これまで120人以上の更生に携わり、「伝説の保護司」と呼ばれてきた中澤照子さん(82歳)は、77歳の定年で現役を退いた後も、多くの元受刑者たちから慕われており、家族のような交流を続けている。彼女は、約20年間の保護司生活で、どんな対象者とどのように向き合ってきたのか。

伝説の保護司と呼ばれていた中澤照子さん

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親子関係を回復させるため、少年の母親に料理を教える

 中澤さんが担当してきた受刑者の罪状は、傷害、窃盗、薬物乱用などさまざま。約70%は未成年だ。120人以上の更生に携わってきたなかで、印象に残っている人やエピソードを聞くと、「たくさんあり過ぎて選べないわ」と笑う。その言葉通り、最初に担当した暴走族の少年との思い出から強烈なものだった。

「その子は母親と父親をすごく嫌ってたの。中国で生まれて、小学2年生でこっち(日本)に来たんだけど、親は中国語しか喋れない。学校で食べる給食は美味しいけど、母親は中国の料理しかつくれなくて、冷蔵庫は餃子ばっかり。そのうちに親のことが恥ずかしくなって、嫌になっちゃったんだって」

 そこで中澤さんが取った行動は、母親を自宅に招き、料理を教えることだった。鶏肉のソテー、アジの干物、ほうれん草のお浸しなど、少年から聞いた好物を、台所で一緒につくった。一方で少年には、面談のときに「お母さんは君のために一生懸命がんばってるよ」「君のことが大好きなのに、心を開いてくれないって泣いてたよ」とさりげなく伝えた。そのかいあって、親子の関係は徐々に回復していったという。

 保護観察の最終日、少年は感謝の言葉を述べると、誰にも触らせないほど大事にしていたバイクに中澤さんを乗せて、自宅まで送ってくれたのだった。

元対象者たちと一緒に笑顔の中澤さん

電話をすぐに切ることは絶対しない

 ちなみに保護司は、国家公務員(非常勤)だが、実質的にはボランティアで、給与は支給されない。それでも、困っている人を放っておけない性格の中澤さんは、対象者にひたすら寄り添い続けてきた。

「いつでも電話しておいで」「会いに行くし、家に来てもいいよ」と伝え、電話があれば食事中でも箸を置いて出た。ある対象者とは月に40回以上も会ったという。