20万人超の登録者数を誇るYouTubeチャンネル「ワルビッシュTV」の運営や、大阪府・西成での炊き出しなど、活動の幅を広げているダルビッシュ翔氏。かつて暴力事件や野球賭博での逮捕で世間を騒がせた彼は、自らの“悪名”を背負いながら、どのように自身の過去と向き合っているのだろうか。そして現在、精力的にボランティア活動などを行う理由とは――。

 ここでは、ダルビッシュ翔氏が自身の人生を赤裸々に綴った初の自伝本『悪名』(彩図社)より一部を抜粋して紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く) 

写真はイメージです ©iStock.com

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中学生で人生初めての逮捕

 僕が初めて逮捕されたのは、中学3年生の夏だった。喧嘩三昧の生活をしていた僕にとっては、もはや時間の問題だったように思う。

 当時、僕はもう退部していたけど、サッカー部の後輩が髪を染めたことがバレて退部になるという話があった。ルールを破ったその後輩が悪いのかもしれないけど、なにも退部にまでさせる必要はないのではないか? 僕はそう思って、先生に直接抗議をしに行った。

 しかし、先生の対応はかなりナメたものだった。

「髪染めたくらい許したってくれや」

 そう訴える僕に対して、「ハイハイ」という感じで笑って受け流そうとしたのだ。僕は猛烈に腹が立った。

 一度頭に血が上ってしまうと、歯止めが利かない。先生にハイキックを食らわせたりしてシバいてしまった。そしてさらに翌日、同級生を2階から突き落とそうとしてしまった。立て続いた2つの事件はさすがに「中学生のヤンチャ」では済まされない。

 とうとう僕は逮捕された。人を逮捕することができる最少年齢である14歳のときの話だ。

 そしてこの逮捕によってこれまで噂レベルだった“悪名”が世間公認のものとなった。だが、僕自身の中では後輩のためにやったことという意識もあったし、悪いことをしたという気持ちにはなれなかった。

 同級生とは示談したが、先生はあえて僕と示談しなかった。僕を反省させようという思いがあったのだろう。僕は学校に戻ることはできなかった。

 考えてみればそれはそうだ。先生に暴行した上、同級生を2階から突き落とそうとするようなヤツを学校に置いておくわけにはいかない。僕は福井県にある「はぐるまの家」という保護施設に入れられることになった。