春の名人戦が終わり、藤井聡太最年少名人が誕生した。
その華やかで、おめでたいニュースは同時に、渡辺明前名人が失冠し、19年間保持していたタイトルが0になったことを意味していた。多くの報道陣が勝者を映していて、敗者が背中にカメラのシャッター音を受けるのは、将棋界ならではの光景だった。
数は違えども、私も多くのシャッター音を背負ったことがある。
新幹線の掲示板にニュースが流れて…
2013年、里見香奈女流五冠が初めて誕生した日、その対局相手は私だった。当時女流棋戦は6つで(現在は8つ)、里見さんは全冠制覇まであと1つとなり、人々はそれを期待しシャッターを切り、私は唯一持っていた「女王」のタイトルを失った。
毎局後に行われる打ち上げに参加し、大阪から東京へ帰らなければならない私は良きところで席を立った。すると、女王だった2年間で特にお世話になった関係者の方が「駅まで送りますよ」と、一緒に歩いてくれて、話をし、「ありがとうございました」と握手をして別れた。
楽しい2年間だったとしんみりと新幹線に乗っていると、掲示板に流れてくるニュースに「里見香奈さん、女流五冠に」という文字がスーッと通りがかり、しばらくボロボロと泣いた。負けたことへの悔しさもあったが、それよりも「もう女王ではなくなる」ということの喪失感が強かったように思う。
もう10年も前のことだけど、よく覚えている。
負けるのは、失うのは、やっぱり辛いことだ
あの、たくさんのシャッター音を背負うという経験は、持っているタイトルを失うという経験は、タイトル戦を戦うというプレッシャーは、した者にしか分からない厳しさがある。勝負事は当たり前ながら、勝つ人がいれば負ける人がいる。分かっていても、負けるのは、失うのは、やっぱり辛いことだ。
6月に入り、第82期順位戦が新たに始まった。
前回のコラムで憂鬱だった夫も、新しいリーグ表が送られて来ると、少しピリッとした。
「また順位戦が始まるのかぁ」
と、呟いたその声には「楽しみ」と「重圧」が見事に入り交じって聞こえる。
1年をかけて昇級と降級が決まる順位戦は、やはり棋士にとって重いのだろう。いつものように机の前の壁に、セロハンテープでリーグ表を貼り付けていた。隣には娘たちが書いたパパの似顔絵が貼ってある。
一方、区切りの時期が違う女流順位戦では、各クラスがそれぞれ佳境に入っている。