文春オンライン

〈前立腺がんが骨転移〉闘病中の医療ジャーナリストが「失敗だった」と考えること

2023/07/08
note

泌尿器科の受診に気が進まず

 8月の猛暑の日曜日、炎天下の皇居周回路を15キロ走って帰宅した僕は、人生初の「血尿」を見た。濃い紅茶に似た色の我が尿を見て自分がしていることの愚かしさを痛感した。少なくとも医療ジャーナリストのすることではない、と思った。

 自宅近くの内科医院を受診し、血液検査を受けた。検査の結果このときの血尿は炎天下で走ったことに伴う脱水症によるものだったが、一つ気になる所見が得られた。「PSA」という検査項目の数値が、正常値ではあるものの高い値だったのだ。

 PSAとは「前立腺特異抗原」といって、精液に含まれるたんぱく質分解酵素のこと。ただ、前立腺にがんができると、血中に流れ出す量が増えることから、前立腺がんの腫瘍マーカーとして利用されている。血液1㎖中のPSAの値が「4ナノグラム」を超えると、「前立腺がんである可能性が高い」と判断される。

ADVERTISEMENT

 ちなみにPSAの血中濃度は、前立腺がん以外に、前立腺に炎症が起きても上昇する。また、自転車やバイクのような「跨る乗り物」に乗ったり、射精しただけでもその数値は上昇する。なので正確なPSA値を測るには、検査前2週間程度はそれらの行為を避ける必要がある。

 この時の僕のPSAの数値は、4には届いていないものの、限りなく4に近いものだった。そのため医師は、定期的に血液検査をしてPSAの推移を見ることを勧めてくれた。僕は提案を受け入れ、月に1回クリニックに通い、3カ月に1度のPSA検査を受けるようになった。結果としてこれが僕の前立腺がん発見の糸口になる。

 その後、僕のPSAの数値は微増を続け、1年後には「4」の大台を確実に超えるようになった。MRI検査を受けると、前立腺に小さく白く光るものが写り込んでいた。

 かかりつけ医は泌尿器科の受診を勧めるが、僕は躊躇していた。理由は2つある。1つはがんが見つかると、そこから先の生活がとても面倒になることが予想されること。もう1つは検査そのものが苦痛と羞恥を伴う――という思い込みによるものだった。より詳細な検査を勧めるかかりつけ医に、「仕事の忙しさ」を理由に、泌尿器科の受診を後回しにし続けていたのだ。

相談のきっかけ

 そんな状況が続いていた2016年のこと、東海大学医学部腎泌尿器科准教授の小路直(しょうじすなお)医師と知り合った。小路医師が取り組んでいる前立腺がんに対する精度の高い針生検の新技術「ターゲット診断」と、超音波で前立腺がんを焼灼する「HIFU(ハイフ)」という新しい治療法の取材だった。

小路直医師 ©文藝春秋

 この2つの新技術は、前立腺がんの疑いを持つ僕に強い興味を抱かせた。そして何より小路医師の丁寧な診療姿勢と、患者本位の親切な語り口は、医師として、というより、人としての深い信頼感を与えた。僕は自分の体に起きている変化について初めて相談してみる気になった。

 当時、東海大学医学部付属八王子病院に勤務していた小路医師を訪ねたのは2018年晩冬のこと。それまでの経過や画像などの資料に丁寧に目を通した小路医師は、やはり前立腺がんの存在を疑うべき状況である、という意見を口にする。そして、「もしよければ継続的に拝見し、必要と思われる検査や治療をさせてほしい」と言ってくれたのだ。

 ここで小路医師が「もしよろしければ」と付け加えたのは、僕の住まい(東京・新宿区)と病院のある八王子市の距離を考えてのこと。周囲にいくつもの大学病院があるところに住みながら、1時間以上もかけて八王子まで通う不便さを心配してくれたのだ。しかしそれは僕にとって二の次、三の次の問題だった。

 日々いろいろな医師に会い、取材している僕の頭には、病院選びや医師選びの基準はでき上っていた。

長田昭二氏の「医療ジャーナリストのがん闘病記」全文は「文藝春秋」2023年7月号と「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

 

※「文藝春秋 電子版」では、長田氏の連載「僕の前立腺がんレポート」を毎月更新しています。

〈前立腺がんが骨転移〉闘病中の医療ジャーナリストが「失敗だった」と考えること

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文藝春秋をフォロー