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趣味のランニングが裏目に

 さて、昭和40(1965)年生まれの僕は、現在57歳。職業は「ライター」「ジャーナリスト」「ノンフィクション作家」など色々な呼ばれ方をするが、日本医学ジャーナリスト協会という組織に所属し、書く原稿の8割方が医療モノなので、「医療ジャーナリスト」と紹介されることが一番多い。そんな僕が前立腺がん闘病記を書くことになった。

 医療記者ががんになり、それを転移させてしまったわけで、面目ない話だ。これから書くこの原稿は、その「言い訳」に終始する。

 しかし、この言い訳は今後前立腺がんにかかる可能性を持つ多くの男性読者に役立つかもしれない。なので恥を承知の上で、僕の経験を記しておきたいと考えたのだ。がんが見つかってから、特に転移を許してからの2年間、自分の経験したこと、その時々に考えたことをつまびらかにすることで、後に続く同じ病気の人たちに適切な判断をするための知識を持ってもらいたいと思う。自分の失敗を公開することで、「医療ジャーナリストとしての失敗」を許してもらおうという魂胆なのだ。

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がんは転移した ©文藝春秋

 僕と前立腺がんの出会いは8〜9年前に遡る。僕は15年ほど前からランニングを趣味とし、暇さえあればあちこちを走り回っていた。フルマラソンの自己ベストは4時間27分59秒と平凡以下だが、東京マラソンやホノルルマラソン、香港国際マラソンなどの大きな大会のほか、全国各地で開催されるレースを走ることを楽しみとしていた。

 2014年春に僕は離婚する。これは僕にとって望まざる離婚でありストレスで食事ができなくなってしまった。その結果、短期間に体重は激減。73キロあった体重が、わずか2カ月で58キロまで落ちた。その変貌ぶりは周囲の人を驚かせた。中には「悪い病気」を疑って、痩せたことに触れようとしない人もいるので、こちらから積極的に事情を説明して、「心配しないでほしい」と頼み込むほどだった。

 事実上の絶食状態でマラソンを走るという行為がきわめて危険なことは承知していたが、走っている間だけは嫌なことを忘れられた。しかも、体重減少でタイムが急激に縮まり出したのがうれしくて、毎日黙々と走り続けていた。いま思えば自暴自棄な精神状態だったのだ。