「失われた30年」が示すように、なぜ日本では長年「イノベーション」が起きなかったのか……。その理由をアメリカ文化に精通する日本のレジェンドラッパー・Kダブシャイン氏が解説。新刊『Kダブシャインの学問のすゝめ』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
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自立するための教育
時間割を作らせたり、自分で自分のことを決める教育は直ちに取り入れたほうがいい。それができないと、日本はいつまでたってもアメリカに追いつくことはできないし、いつまでたっても追い抜くことはできない。
そもそも自分が若い頃にアメリカに行って頭に浮かんだのは、「彼を知り、己を知れば百戦危うからず」という格言で、これは「敵を倒すためにはまず相手の懐に入れ」という意味だ。
日本は過去、アメリカに戦争で敗北し、渋谷も昭和の東京オリンピックの頃までは日本人よりアメリカ人のほうが偉そうに闊歩する土地でもあったから、自分もアメリカに対してはコンプレックスと憧れの両方を抱えていた。当時、音楽はトップ40、映画はハリウッド、着るものもリーバイスやナイキなど、メイドインUSAが好きだったので、「まずアメリカを知らないといけない。彼らはどうやってこんな楽しそうなものばかり作るんだろう」と興味を持った。
その後、アメリカに行きたかった夢が叶い、渡米して初めて向こうの学校に行った朝に、「どの授業を取りたいか自分で選んでください。もしわからないことがあればカウンセラーのところに行ってください」と言われた。そして、言われるがままにその部屋に通されてみたら、その場でカウンセリングを受けることになり、「じゃあキミは数学は得意そうだけど英語はまだ簡単なほうがいいね」みたいな感じで時間割が決まった。日本の学校ではクラブの選択ぐらいしかなかったので、これには「ほぉー」と感心した。日本では自分の受けたい授業を選んだことなんかそれまでなかった。