いま、小中学校で、非常事態が起きている。
担任、科目の担当教諭が教室に現れず、授業すら受けられない子どもたち。教頭や学年主任が急遽教壇に立つか、そうでなければ、その科目は、毎回自習。
「いったい、いつ先生が来るの」
「うちらは捨てられてる」
『先生が足りない』の「先生」とは、正規の教員ではなく、教員免許は持っているものの、採用試験に合格していない「非正規教員」のこと。現場の教員が、たとえば産休・病休をとったとき、その「代役」として教室にはいる。
その「代役」が、いない。教育委員会が探し、現場の教師が手を尽くしても、どんどん見つからなくなってきている。結果、義務のはずの教育を受けられない子どもが、全国で増えている、という。
絶句した。なぜこのような事態に陥ったのか。
データがカギ、と新聞記者でもある著者は書く。文科省、新聞社、大学の調査研究を精査し、公教育の現状を詳らかに示してゆく。
知らないことばかりだった。現在の教育現場が、非正規教員に頼りきっていること。その遠因が、2000年代の規制緩和政策にあること。きめ細やかさを求める教育施策が、かえって、教師の不足を招いていること。そんな教員の不足を、学校も、自治体も、隠そうとしがちなこと。
私事になるが、息子が通う中学でも、教師の働き方改革が頻りに叫ばれている。校内は一見、平穏な空気ではあるものの、いざ教師がひとりでも休職すれば、本書に描かれてあるような「穴」が、教室に、授業時間に、ぽっかり開きかねない、ということだ。
そもそも、正規教員の採用数が足りていないのではないか、と著者は書く。いまこそ、教育政策の見直しを、と切実に訴える。
「子どもの目の前に教員がいないということは、子どもが学ぶ時間、育つ時間そのものが奪われることにほかならない」
新たな知見を得る、というばかりの本ではない。閉ざされた箱を開いていく、そんなスリリングな思いで読み終えた。
ページにはさまざまな声があふれている。子どもたち、現場の教師、保護者、教育委員、公務員。
著者は、懸命に耳をすませる。データの数字の裏にも、軋むような現場の声、息づかいを、ききとろうとしている。
とりわけ、著者の肉声が胸を打つ。取材へのとりかかりが遅れたこと、子どもへの取材が足りなかったことを自省し、本書は「筆者の失敗日記でもある」と悔やむ、その声の誠実さ。
教師、保護者、教育関係者、だけでない。子どもにかかわりをもつ誰もが手に取るべき一冊。とりかえしがつかなくなるより先に。教室が、子どもたちのこころが、黒々と口を開いた穴だらけになるその前に。
うじおかまゆみ/岡山県出身。1984年に朝日新聞入社後、水戸支局、横浜支局、社会部、論説委員を経て現在編集委員。教育分野を担当し、いじめや学級崩壊、学力、教師問題を多く取材。共著に『学校と教師を壊す「働き方改革」』など。
1966年、大阪府生まれ。作家。2016年、『悪声』で河合隼雄物語賞受賞。最新刊に『書こうとしない「かく」教室』など。