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日本にイノベーションが起きづらい理由とは

 こうやって比べてみても、アメリカの学生のほうが10代のうちから、自分がいま何をやりたいのか、いま何に興味があるのかという意識が呼び起こされる環境にいる。それに、いつでも学びたいことが変わればその都度専攻を変えていいという自由もある。つまりそれが、自分の手で、人生の道を、自分らしく切り拓いて進んで行く訓練になる。

 野球がやりたくて野球が強い高校に入学して甲子園を目指し、プロ野球選手になるっていう考えも計画的だけど、部活ばかりに燃えていて勉強は全然やりませんでしたっていう子は、なかなかあとから取り返すのが難しい。そもそも中学生や高校生でそこまで将来の目標を明確に決めている子はそれほど多くないし、たぶんまだそれはそこまで必要のないことだと思う。

 しかしそこで例えば、親が医者だから僕も医者になりたいんですって子がいたとする。それをカウンセラーに相談したら、「じゃあそのためにはこういうふうに授業をとって医学部を目指しましょう」っていうアドバイスをくれる。すごく優秀なら、中1の年齢でももっと高いレベルの授業を選んで単位さえ取れば、一気に飛び級をして大学に行くこともできる。逆に学校の勉強が嫌いで自動車が好きなら、学校にあまり行かずとも、車の部品交換とか修理のための修業を仕事を兼ねてしていても良くて、そのまま卒業すると望み通りメカニックになれる。

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 翻って日本の教育現場では、とりあえずみんな会社員になるための画一的な教育をしているようにしか見えない。

 外国のビジネスマンはよく日本人に仕事上のことで「それは誰が決めたのか?」って訊くと「あれは会議が決めたんだ」と答えられたと不満を口にする。「彼らには顔がない、フェイスレスなんだ」って愚痴をこぼしていた外国人を知っている。

 それは、日本人が大勢で会議で調整した結論や結果だけを、プロセスを細かく説明せずに発表するからそう受け取られる。最近はトップに立つ人も、カリスマ起業家というより調整上手な人が多くなっている。結果的に日本では調整能力の高い人ばかりがもてはやされ、腹の据わった人があまりいない気がするのだが、どうだろう。そして、責任を一箇所に集中させないためこのように責任の所在を曖昧にする日本的価値観、日本的常識が、バブル崩壊以降の日本の足を引っぱり、それからずっと「失われた30年」が続いている。どうしても個人主義は嫌われる傾向にある。

 昭和の頃は、日本の大企業にもリーダーシップのある心強い有名なカリスマ経営者がたくさんいた印象だ。ホンダやソニー、松下電器産業みたいな日本企業がバリバリ世界を相手に進出していた頃に比べ、最近は外貨を稼ぎ、日本全体の生活を豊かにするような技術の進歩が昔ほど出てこなくなった。働く時間は減ったけど家族と豊かに暮らして幸せです、というならまだ良いんだけど、どうもそうともいえない状況だ。

経営の神様・松下幸之助 ©文藝春秋

 与えられた枠の中でどううまくやるかが、既存の枠を壊してイノベーションを起こすかよりも優先されてしまっている。グランドデザインの変革を生み出せないパターンに陥り、もうずっと身動きが取れていない。

 正直なところ、これを根本から変えるには、学校教育で飛躍的に価値観を変えていくこと以外に思いつかない。