「産業としての映画は、確実に終焉に向かいつつあります。映画産業の中心ハリウッドには世界中からお金と才能が集まって、エンターテインメントとしてだけでなく、最も優れた作品の一部を担ってきた。要するに、商業性と芸術性が両立しているという、普通なら考えられないことが100年ぐらい続いたわけです」
映画・音楽ジャーナリストの宇野維正さんの最新刊『ハリウッド映画の終焉』。米メジャースタジオが製作して劇場公開される「ハリウッド映画」は“大衆娯楽の王様”だった。だが、この20年間で北米での新作の公開本数と観客動員数はほぼ半減している。
「今まさに大きな歴史の転換点にあります。新型コロナウイルスのパンデミックは、その時計の針を少し進めるきっかけになったに過ぎません。ジャーナリストとして、クリティック(批評家)として、両方の立場から映画の状況をずっと追ってきた自分が書かなくてはと思ったんです」
動画配信サービスの台頭と前後しメジャースタジオは“選択と集中”を徹底。シリーズものばかりリリースするようになり、年数本のメガヒットが産業全体を支える傾向も強まっている。
「映画の歴史は、シリーズものではない、オリジナル脚本の作品が作ってきたとも言えます。でも、そうした作品は興行の予想が立ちにくく、製作本数が減っている。その意味では、映画の一番豊かなところはとっくに失われているんです」
本書は2020年以降公開の16本の作品を取り上げ、映画界で起きていることを明らかにする。宇野さんが「号泣しながら書いていた」というのが、第三章〈「最後の映画」を撮る監督たち〉。スティーヴン・スピルバーグ監督の『フェイブルマンズ』、ポール・トーマス・アンダーソン監督の『リコリス・ピザ』といった作品を論じた。
「アンダーソン、あるいはクエンティン・タランティーノが、何年も前からどれだけ現状を悲観的に捉えてきたか。ハリウッドで、シリーズものではないオリジナル脚本の普通の映画をフィルムで撮るなんて、もう成り立たないとわかっていて、そこからの逆算で『リコリス・ピザ』や『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を撮ってきたわけです。この本を読んでもらえれば、その覚悟がわかってもらえるはず」
6年前にハリウッドで始まった#MeTooの影響についても、そろそろ多面的に捉え直す必要があるという。
「(有罪が確定した映画プロデューサーの)ハーヴェイ・ワインスタインが業界を追放されたのは当然のことでしたが、あの時期、彼以外にも多くの大物プロデューサーがパワハラなどでその職を追われました。映画の上映時間がどんどん長くなっていることや、監督のパーソナルな作品が増えていることと、その関係についても考えてしまいますね」
世界中で広がっている、過去の言動などを理由に糾弾される“キャンセルカルチャー”。ケイト・ブランシェット演じる指揮者がそれに巻き込まれていく様を描いた『TAR/ター』を本書の最後で取り上げた。
「人はキャンセルできても芸術はキャンセルできない。今後、法的に有罪となったケースは別ですが、一度キャンセルされた人が大衆からの支持を得て、復活する流れもあるでしょう。トッド・フィールド監督の『TAR/ター』は作品のラストでそれを先駆的に描いていた。ただ、一度キャンセルされた人や、これから出てくる新しい才能が活躍する場は、もはやハリウッドではないのかもしれません」
うのこれまさ/1970年、東京都生まれ。「キネマ旬報」「装苑」「リアルサウンド」などで連載中。著書に『1998年の宇多田ヒカル』、『小沢健二の帰還』、『2010s』(田中宗一郎との共著)など。ゴールデン・グローブ賞インターナショナル・ボーター(国際投票者)。