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《「おまえら記者はどうなんだ」と返す刀を持ちなさい》美輪明宏の“厳しくも愛にあふれる”金言のルーツ

2023/06/28
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中学生でNHK出演

 振り返ると、NHKさんとは不思議なご縁ですね。2012年に紅白歌合戦に『ヨイトマケの唄』で初出場し、以来『愛の讃歌』、『ふるさとの空の下に』など、4度出させていただきました。朝の連続テレビ小説『花子とアン』(2014)では語りを務め、毎朝「ごきげんよう」をお届けしました。ありがたいと思っていますよ。

 実を言うと、いちばん最初の付き合いは、はるか昔、中学生の頃にまで遡ります。終戦後、まだテレビがない時代、故郷・長崎の駅前のちょっと小高い丘にNHK長崎放送局はありました。

 私はボーイソプラノ歌手を目指してピアノと声楽を習っていた。海星中学校の音楽の先生がNHK長崎放送局の放送合唱団の指揮者だったんです。その先生に合唱団の女性ソプラノグループに入らないかと誘われ、メンバーの一員となりソロでも歌わせてもらいました。

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 テレビ放送がはじまってからも、NHKに出る機会をいただきました。上京後しばらくして、NHK局員の方から「今度テレビなるものができるから実験放送で歌ってくれないか」とお声がかかったんです。スタジオで『Il pleut sur la route/小雨降る径』、『La Mer/海』の2曲を披露した覚えがあります。

 それがきっかけで出演したのが、『夢であいましょう』(1961〜66)。コントに歌や踊りなどを披露するバラエティー番組で、渥美清さん、黒柳徹子さん、岡田眞澄さん、坂本スミ子さんらと共演しました。

 思い出深いのが、永六輔さん作詞、中村八大さん作曲の『あいつのためのスキャットによる音頭』を歌ったとき。本番前にいきなり譜面を渡されたのですが、5/4拍子と不自然なリズム。「初見で歌うものじゃないでしょ」と、文句を言いながら収録しましたね(笑)。

坂本九 ©文藝春秋

『ヨイトマケの唄』を最初にカバーしてくださったのが『夢であいましょう』で共演した坂本九さんです。ある日、赤坂の喫茶店でお茶をしていたら、九ちゃんが入ってきて私に向かって最敬礼。「お願いがございます」と言う。「なあに」と聞くと、「あなたの『ヨイトマケの唄』を歌わせてください」と。九ちゃんは両親が離婚して母一人に育てられたそうです。「お母さんのためなの?」と聞いたら「実はそうです」って言うから「じゃあどうぞ」と快諾したわけです。