車から降りて自宅へ入ろうとした内納氏を銃撃
恐らく犯人もがく引きを起こしたのだろう、弾丸は社員の前の机上にあった分厚い書類を貫いた後に社員の腹部に当たり軽傷を負わせた。分厚い書類の束が弾丸の威力を弱らせたのだった。犯人は、倒れた社員に向かって更に1発発砲したが、その弾は当たらなかった。
同年11月26日午後9時頃、小倉北区の住宅街の一角で、友人の車で帰宅した建設会社会長・内納敏博氏(当時72歳)がバイクに乗った男2人連れから襲われた。バイク後部に乗っていた男が、車から降りて自宅へ入ろうとした内納氏を銃撃した。2発のうち1発が内納氏の頚部に命中し、内納氏は搬送先の病院で亡くなった。一緒に帰宅した夫人の目の前での出来事だった。
内納氏は大手ゼネコンの北九州地区下請業者の取りまとめを行っていた。ゼネコンも暴力団排除を進めだしたことから、「時代は変わった。暴力団に仕事をやってはいけない」と他の下請業者を説得していた。
実行犯は田口本人
捜査により、複数の田中組幹部、組員あるいは田中組一門である瓜田組員らの関与が浮かび上がってきた。私が在任中検挙に至らなかったが、内納氏の事件については野村総裁、田上会長検挙後の平成29年1月、工藤會理事長補佐兼瓜田組々長・瓜田太、田中組若頭・田口義高、田中組本部長・中西正雄らが検挙された。実行犯は中西正雄だった。瓜田については、事件発生直後の捜査でも、被害者らの車を尾行していたことが判明していた。
また、清水建設社員に対する殺人未遂事件では、同年9月、田口義高らを検挙した。実行犯は田口本人だった。
正直なところ、発生後の捜査では田口や中西はあくまで指揮者で、その下の幹部や組員が実行犯だと考えていた。実際には、下位の組員らは犯行使用バイクの入手、処分や被害者の行動確認などを担当していた。