Twitterで「死にたい」、「自殺したい」とつぶやく人のどれほどが、実際に行動に移してしまうものなのか? 同事象を調査した、和光大学教授で臨床心理士の末木新氏の新刊『「死にたい」と言われたら 自殺の心理学』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
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可視化された「死にたい」
皆さんは、Twitterで「死にたい」と検索したことがあるでしょうか? 必ずしもTwitterでなくても良いですが、TwitterなどのSNS上には「死にたい」という声があふれています。検索をしてみれば一目瞭然で、この原稿を書いている今も、そしてこの原稿が読まれている時も、おそらくは変わらず、多くの人が「死にたい」とつぶやいているはずです。
「死にたい」にはもちろん、さまざまな意味があります。どのような意味でこの言葉を発しているかは、ケースバイケースです。かなり深刻に自殺を考えており、具体的な自殺の手段まで準備している場合もあれば、冗談のようにつぶやいている場合もあるでしょう。この言葉だけでその人の状態を判断することはできませんが、とはいえ、そんなことを言う人と言わない人を比べれば、前者の方が何らかの問題を抱えている可能性が高いだろうと推論することに異論はないでしょう。
「死にたい」という思いを抱えることそのものはそれほど珍しいことではありません。どのように質問をするかにもよりますが、たとえば、「過去1年の間に、自殺をしたいと考えたことがあるか」という質問をすると、一般的には5%前後の人が「はい」と回答します。過去1年ではなく、これまでの人生で、というような縛りにすると、20~30%前後の人が、自殺をしたいと考えたことがあると回答します。つまり、長い人生を送る上で、2~3割程度の人はそれなりに深刻に自殺をしたいと考えたことがあるということになります。「死にたい」と思うことは珍しいことではないというのはこのような意味です。
「死にたい」と言う人は、放っておいて大丈夫?
これだけ多くの人が、自殺をしたいと過去に考えたことがあり、そして一部の人は今もまさに考えています。しかし、現実に自殺で亡くなるのは、おおむね人口の2%程度です。2~3割の人が人生において一度は自殺を考えるとしても、実際に自殺で亡くなる人はその1/10の2%ですから、自殺を考えたとしても、自殺で亡くなる人はそれほど多いわけではないと言うことそのものは間違いありません。自殺で亡くなるのは、自殺を考えることに比べてはるかに難しいと言い換えることもできるかもしれません。
では、「死にたい」とか「自殺したい」という発言はそれほど意味がないもので、軽く扱ったとしても実際には自殺が起こることはないのでしょうか。別に死ぬつもりで言っているわけではなく、ただ単に周囲の注意をひきたいとか、そういう意味合いで発言されているものだと理解して良いのでしょうか。