母から「私のおっぱいを作ってほしい」と頼まれて
──林さんが「人工乳房」に関わったきっかけは?
林 乳がんの手術で乳房を失った母のために、名古屋市の人工乳房製作会社「池山メディカルジャパン」の人工乳房製作技術者養成講座に通ったのがきっかけです。
私は以前、軽量樹脂粘土を使った陶芸教室の講師をしていたのですが、乳がんを患った母に「名古屋に人工乳房の作り方を教えてくれるところがある。そこに通って、私のおっぱいを作ってほしい。粘土の先生だからできるやろ?」と懇願され、初めて人工乳房の存在を知りました。
──陶芸の講師をされていた経験が、役に立ったのですね。
林 それがまったく役に立たなかったんですよ(笑)。
私が扱っていたのはふわふわの粘土で、人工乳房の型取りをする粘土は、石のように硬いんです。素材もやり方も違えば、目的も用途もまったく違います。
「陶芸講師だから粘土の扱いには慣れている」なんて、見当違いもいいところでした。でも、母のためにという気持ちや、やると決めたからにはやり遂げたいという思いがあって、必死で養成講座に通いました。
──スクール卒業後、すぐに独立して会社を立ち上げたのですか?
林 まさか! 人工乳房は個人によって目的や状態が異なるので、技術的にもとても難しくて、養成講座を卒業したからといって、誰でもすぐに作れるというわけではないんです。
私が養成講座に通ったのは、「母のために人工乳房を作る」ことが目的だったので、「自分で作れるようになるまでは」と、卒業後も製作方法を学びながら営業として3年間池山メディカルに勤務し、技術を身につけました。
自分一人でできることに限界を感じて「仲間を増やしたい」
──人工乳房を製作する会社は全国にどのくらいあるのでしょうか。
林 人工乳房だけを専門で作りながら養成スクールも運営している会社は、ごくわずかです。乳房以外に義肢装具の製作も行っているメーカーや専門学校はいくつかありますが、お客様のご希望通りの人工乳房を製作できる「ブレスト・アーティスト」となると、日本ではまだ一握りかもしれません。
私が会社の設立と同時にスクールを立ち上げたのは、自分一人でできることに限界を感じたからです。まずは「『ブレスト・アーティスト』の仲間を増やしたい。そこから広めていこう」と思いました。