実はかつての「郡山」にはずいぶん怖い異名も…
もちろん郡山は30万都市なわけで、まだまだ町は続く。県道17号線を渡った西側の堂前町というエリアにも、古い飲食店が連なっているし、駅のすぐ南西、東横インのある一体は細い路地が入り組んでいるゾーン。そういう合間に小さな昔ながらの店があったりして、地方都市の良いところが凝縮されているイメージだ。
実のところ、かつて郡山は“東北のシカゴ”と呼ばれてヤクザさんの抗争が盛んに繰り広げられていたなどという話を聴いたことがあった。だからちょっとドキドキしながらやってきた。が、さすがに令和のご時世にシカゴもアル・カポネもないわけで、ごく普通の、歴史とともにあるような町であった。
ちなみに、駅の東側にはなにがあるのだろうか。出入り口がどこにあるのかもよくわからなかったが、郡山駅を歩くというからには足を運んでおかねばならない。
駅の南側の陸橋を歩いて東口に出る。小さな広場があって、駅ビルと跨線橋で繋がっているくらいの小さな駅舎。その脇には、線路沿いに大きな工場が広がっている。
工場が駅に隣接しているから開発の余地が少なく、東口がいかにも“裏口”らしくなってしまったのだろう。この工場は保土谷化学郡山工場で、1916年からこの地にあった。郡山が工業都市として発展してきた中での、象徴的な存在のひとつである。
広場の真ん中に“緑色のナゾのドア”が
駅に戻り、また西口の広場に向かう。広場の真ん中には、緑のドアがあった。え、ここは川崎ですか、それとも富山ですか?と思ったが、よくよく考えるとドラえもんのどこでもドアはピンク色。郡山で結成されたアーティスト・GReeeeNが地元の青年会議所とともに設けたモニュメントだという。
近くには、彼らの足形や手形もあった。駅の発車メロディもGReeeeNの「キセキ」と「扉」。最近は音楽の町として知名度を上げているらしく、“東北のウィーン”というらしい。
ただ単に、交通の要衝だとか、福島でいちばんの町だとか、そういうイメージだけで捉えていた郡山の町。しかし、歩いてみればいろいろとおもしろい顔は見つかるものだ。
人口も多いし場所も真ん中で交通の便も優れた郡山。実は、明治以来、県庁を郡山に移転したらどうかという話が出ているらしい。が、この話題に踏み込むと、福島VS郡山という争いに巻き込まれそうなので、このあたりで終わりにしておきます。
写真=鼠入昌史
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