机が急遽、緑色に塗り直された
空き地には、またもや赤地に黄文字の看板も。いわく、「私は梁家河で人生の第一歩を踏み出した。留まること七年して私は去った。だが、心はここに留まった――習近平」。派手な色使いは、のどかな村落で異彩を放っていた。
その近くに習近平が暮らした窰洞(ヤオトン/山に掘られた横穴式の住居)があり、なかを見学できる。やはりここでも、習近平の写真が何枚も貼りだされていた。
習近平本人も昨年2月にここを訪問。ノミやシラミに悩まされた思い出を懐かしそうに語り、おもむろに片隅の小さな勉強机を指差して「これは緑色だったはずだ」と指摘したという。「そのため、われわれは慌てて机を塗り直しました」とガイドは愉快そうに話した。確かに、机自体は古びているのに、緑色だけがいやに鮮やかで不自然だった。
なるほど、この村くらい習近平の「庶民派アピール」に最適な場所はない。先述した食堂だってそうだ。観光客はここで「習近平が食べた」庶民的な料理を口にし、味覚を通じて、若き日の習近平の苦労を追想させられるのだから。
習グッズの話をすると、ガイドの口は急に重くなった
最後に案内された土産物屋で、ふと「習近平グッズ」はないのかと訊ねてみた。中国では各地で毛沢東を描いたバッジや万年筆などが売られている。なので、この村なら、その習近平バージョンがあるのではないかと思ったのだ。
すると、女性店員は言いにくそうに、「実は作ったのですが……」と切りだした。どうやら「上からのお咎め」を受け、現在は倉庫に隠してあるらしい。個人崇拝を口実にした便乗商売に、歯止めがかかったわけだ。
これは面白いと思い、私は渋る店員に、ぜひ「グッズ」を見せてくれと懇願した。粘ること十数分。なんとか「写真撮影はなし」との条件で見せてくれることになった。
興味津々で待っていると、何のことはない、習近平と彭麗媛夫妻を描いた飾り皿だった。これくらい別にいいじゃないかと、拍子抜けしてしまった。
その一方で、店員は緊張の面持ちを崩さなかった。こうした「グッズ」でも指導者の権威を傷つけかねない。それが発禁処分の理由だという。ガイドも急に口が重くなり、これ以上詳しいことは教えてくれなかった。
だが、この沈黙と緊張感は、かえってここで行われている個人崇拝がどういう性質のものなのかを雄弁に物語っていた。これは単なる村興しではない、国家の権威と命運をかけたプロパガンダにほかならないのだと。
写真=辻田真佐憲