「こちらは、習近平主席がこの前ここで召し上がった料理です」
食堂の男性職員がターンテーブルに2~3人前はある大きな丼鉢を運んできてそう言った。
料理の名は麻湯飯。陝西省北部の郷土料理である。見た目はやや黄濁した雑穀の粥で、匙で掬うと、粟や豆、細かく刻んだ白菜、平べったい麺などが浮かんでくる。
フーッと冷まして口に入れる。中国料理にありがちな辛さや脂っこさはまったくない。とはいえ適度な塩気があって、粗末な見た目の割にはおいしい。モチモチとした麺の食感は、柔らかく単調な雑穀の噛みごたえに、心地よい変化を与えてくれている。
「昔は味気がなくて、こんなにおいしくなかった。貧しかったころは麺がなくて、ジャガイモでかさ増しして主食にしていたからね」と同席した中年男性が教えてくれた。
値段は58元(約1000円)。これで数人が満腹になるのだから、実に庶民的な料理である。
習近平への熱烈な個人崇拝で観光地になった村
ここは西安から北北東に300キロ程のところにある、延安市延川県の梁家河村。人口約1000人のこの小さな農村は、習近平に対する熱烈な個人崇拝によって、いま中国でもっとも注目を浴びる観光地となっている。
村の入口には、靖国神社の大村益次郎像を髣髴とさせる巨大な石碑が屹立し、大型バスが何台も入る広大な駐車場が完備。山間の道はきれいに舗装され、村の中心には、歴史館、食堂、土産物屋、公衆トイレが立ち並ぶ。
村まで送ってくれたタクシーの運転手によれば「客層は、孫を連れた高齢者から、90年代生まれの若者まで千差万別」。多いときには1日で1000人を越える観光客が殺到し、日本、韓国、フランスなど外国からの訪問者もいるという。
ただでさえ辺鄙な延安(なにせ毛沢東が日中戦争の間立てこもっていた山奥だ)の中心部から車で2時間弱もかかるため、交通アクセスは決してよくない。にもかかわらずこの村が活況を呈しているのは、ほかならぬ習近平と切っても切れない関係にあるからだ。
何の変哲もない村と習近平の深い関係
副首相を務めた習仲勲の子として北京の中南海で暮らしていた習近平は、1969年、15歳のときに梁家河村に下放された。下放とは、都会の知識青年を辺境の農村に送り込み、肉体労働を通じて思想改造すること。毛沢東の指示で、文化大革命の時代に広く行われた。
父親が「反革命分子」とされ失脚したこともあり、習少年の6年半に及ぶ農村生活は過酷を極めた。