最高指導者の貧相な身なりも展示
だが、それから約40年。最高指導者に登りつめた習近平は、当時の苦労を美談に変えて「庶民派」アピールを行うようになった。
これにともない、何の変哲もない農村の知名度は急上昇。村の側もせっかくのチャンスを逃すまいと、2013年ころより観光地化に取りかかり、いまに至っている。
30代と思しき村専属の女性ガイドは、にこやかに語る。「習主席は、この村をとても気にかけてくれています。最近では、2015年2月の春節(旧正月)前にお越しになり、米や食用油などをお土産として贈ってくれました。観光客もそれ以降かなり増えました」。
村の広場には、「陝西は根源であり、延安は魂であり、延川は私の第二の故郷である――習近平」と記された看板がかかる。赤地に黄文字のけばけばしさが目に痛い。そんな看板を尻目に、村の歴史館に案内された。ここも最近、小学校の旧校舎を改装してオープンした。
もっとも、歴史館とは名ばかりで、内部は完全に個人崇拝の空間と化している。どの壁にも、習近平の写真や言葉、本人から村に送られてきた手紙などが満載。特に、下放時代の写真は、黄金色の壁に恭しく掲げられ、ライトアップされていた。当時の貧相な身なりと今とのギャップに、思わず笑ってしまう。
「あちらは習主席が水を汲んだ井戸です」
ほかにも、村人たちがニコニコしながら、魁偉な「習同志」の指導を仰ぎ見るイラストまであった。毛沢東への個人崇拝が文化大革命を引き起こしたという反省から、中国ではこうした振る舞いに禁欲的だったはずだ。それなのに、これでは北朝鮮の「将軍様」と何も変わらない。だが、ガイドはお構いなしに説明を続けた。
「習主席は農作業を積極的に学び、村人の信頼を得ました。そして村の発展に貢献、七四年には共産党に入り、この支部の書記に就任されました。翌年北京の清華大学に進学されたときには、多くの村人が別れを惜しみました――」。歯の浮くような賛辞の数々に、付き添いの中国人通訳もさすがに苦笑いしていた。
個人崇拝はこれだけに留まらない。歴史館を出て村の奥へと進んでも、「こちらは習主席が利用した鍛冶屋の再現です」「あちらは習主席が水を汲んだ井戸です」「向こうは習主席が指導して開拓した畑です」などと、しつこく解説がつきまとう。