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なぜ消費量は急減したのか?

 ソ連が自国を中心とした社会主義経済圏を築いていたことは、先述の通り。したがって、ソ連を中心としたそのシステムが崩壊することは、ソ連のみならずその周りの国々にも大きな影響を及ぼすことを意味する。ブルガリアもそれらの国の一つだった。

 社会主義の時代は国の管理のもと集団農場(コルホーズ)で効率的な酪農が行われていたのが、ソ連の崩壊とともにそれも解体。牛数頭しか持たない小規模酪農家に分散したことで、生産量は一気に落ち込んだ。生乳を供給できなくなったことが、ヨーグルト消費量急減の原因だったのだ。その他、国家が以前のように基本食品に対する価格統制を行えなくなったことなど、複数の政治的要因も関連している。政治が変わると食が変わる。ソ連崩壊後の10年間はとにかく食料が乏しかったと、ブルガリアの人たちは語る。遠い昔の出来事ではなく、私と同じくらいの30歳代の人たちがその時代を経験していて、重たい声で語るのだ。

 その後食料事情は改善。ただし食料生産が資本主義化し、またEUに加盟してその衛生基準を満たさなければいけなくなったことなどにより、工業的に生産される粗悪品も増加した。

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「社会主義の時代は、今ほどヨーグルトのバリエーションはなかった。その代わり国が管理する基準のもとで作られた、本物のヨーグルトだった。今は利益を追求するようになり、粉乳から作られたヨーグルトなんかもあったりして、品質もまちまち。店にずらっと並んだヨーグルト棚を前に、本物のヨーグルトはどれ? と尋ねる人もいるんだよ」という話を聞いた。

ブルガリアのヨーグルトは“政治的に強化された人民食”だった

「ブルガリアの人たちは本当にヨーグルトを食べているのだろうか?」という疑問を深掘りしてみたら、実は想像していたような由緒正しい伝統食ではなく、政治的に強化された人民食としての側面があることが見えてきた。確かに土地や気候に育まれた面もあるけれど、社会主義時代の政権が別の食料政策をとっていたら、あるいは時の政権が資本主義だったら、ヨーグルトはここまで重要な食物になってはいなかっただろう。

 ヨーグルトに限らず、「伝統食」と思っていたものが実は政治や企業の活動によって作られたイメージであることは、ほんとうによくある。「日本人の主食は米」という話だって、芋や雑穀を含めさまざまな炭水化物を各地で主食としていたところを、飛鳥時代以降、米による税金徴収などで国の統一を図る中で生まれてきたものだ。庶民が今のように米を食べられるようになったのなど明治時代以降で、たかだか100年しかない。

 私たちは、自分が生まれる前からあることを“伝統”“昔ながら”と言いがちだけれど、昔から不変と思っているものこそあやしい。だからこそ食から歴史を遡ると、発見が多くておもしろいのだ。