きたる7月19日、東京築地の料亭・新喜楽にて第169回直木三十五賞の選考会が開かれる。作家・冲方丁氏に、候補作『骨灰』(KADOKAWA)について話を聞いた。(全5作の1作目/続きを読む)
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長篇SFの人気シリーズや、歴史小説、時代小説、そして官能小説まで、様々なジャンルを書いてきた冲方丁氏。候補作は、意外にも著者にとって初のホラー小説である。
「最初のプロットでは、まだコロナもなく、オリンピック前で、むしろ、世間的に過熱する華やかな出来事に対して、冷静にさせる装置としてのホラーということで考えていたんです」
舞台は2015年。オリンピック開催に向けて再開発が進むなか、大手デベロッパーに勤務する光弘は、会社の現場にまつわる『火が出た』『いるだけで病気になる』『人骨が出た穴』などの奇妙なツイートの真偽を確かめるため、渋谷の工事現場の地下へと向かう。
「連載を始める段階になって、コロナ禍になり、オリンピックも延期されて、戦争まで始まってしまいました。コロナも最初のときは漠然とした不安感に世間が支配されているところがあったので、そういった不安への免疫としてのホラーという意識が強くなりました。不安に耐えるために、物語の中であえて読者に恐怖を体験してもらおう、と」
次々と迫る「怪異」
あくまでも仕事として処理しようとしていたはずの光弘の身に、そして家族にまでも、次々と怪異が迫ってくる。
「今回は、怪異が目に見えないものであるということを強調しました。渇きであったり闇であったり、視覚的なところではない恐怖を描こうとしました」
光弘が耳にした「骨灰」という言葉。それは、度重なる火災や戦火で、多くの遺体が広がったかつての東京という場所を象徴するものだという。
「東京は、土が酸性なので、骨が溶けてしまってほとんど残らないそうです。でも、いまも無数の人々の遺体は、土の中に残っているはずです」
匿名の悪意は、公害の一種
禍いを抱えた土地を鎮めるために、「人柱」を礎にせねばならない。その究極の状況にひとは何を思うのか。
「人柱というのは、古い慣習のようで、社会の秩序を安価で保つために、個人の犠牲の上に成り立っているという意味で、実は現代人もやっていることは変わらない。いつ、自分がその人柱になるかはわからない、社会の輪からはじかれてしまうかもしれない――そんな社会的な恐怖も盛り込むべきと考えました。
また、物語の発端にもあるような、SNSで広がる匿名の悪意は、産業の発展に伴う公害の一種と思います。以前は、面白い作品を書き、作家として評価されたい気持ちが大きかったですが、いまは人の糧になるような小説を書きたいという思いが強くなりました。どの作品でも、今の社会で生きる人のエールになるものを書くことが、自分という作家の使命だと思います」
冲方丁(うぶかた とう)
2003年『マルドゥック・スクランブル』で日本SF大賞、09年刊行の『天地明察』で吉川英治文学新人賞、本屋大賞他、12年『光圀伝』で山田風太郎賞受賞。
(初出:「オール読物」2023年7月号)