きたる7月19日、東京築地の料亭・新喜楽にて第169回直木三十五賞の選考会が開かれる。作家・高野和明氏に、候補作『踏切の幽霊』(文藝春秋)について話を聞いた。(全5作の3作目/続きを読む)

高野和明さん

◆◆◆

 かつて全国紙の社会部記者として鳴らした松田は、2年前に妻を亡くしてからは、女性誌のしがない取材記者として糊口をしのいでいた。ある日、心霊ネタの担当となり、読者からの投稿写真を見ると、踏切にぼんやり浮かぶ女性の上半身が……これは“幽霊”?

ADVERTISEMENT

 取材を進めた松田は、写真が撮られた下北沢の踏切付近で、被害者不詳の殺人事件が起こっていたのを知る。さらに毎夜のごとく奇怪な電話がかかり始め、やがて松田自身が、現場の踏切で衝撃の光景を目撃してしまう。

「ふたつの謎」に迫る

 高野さんの候補作は、雑誌記者が地を這うような取材で事件を追う骨太の社会派小説である一方、「これは死者からもたらされた手がかりでは?」と思わずにはいられない超自然現象に遭遇するのが読みどころだ。

「本作にはふたつの謎があります。殺人事件の真相は何か、そして殺された女は誰なのか、です。事件のほうは主人公が記者としての取材力を発揮して、フェアな謎解きで真相に迫りますが、被害者の女性のパーソナルな謎については、不思議な巡り合わせで主人公が導かれていくような展開にしました」

 真相究明の過程では、松田が情報源に配慮して渾名を使うなど、リアリティに徹した描写が圧巻だ。

「昔の新聞記者のドキュメントを読んだり、経験者に取材したりしました。主人公が雑誌記者なので、『文春砲』の精鋭の方々にも協力していただきました(笑)。ノンフィクションノベルやニュージャーナリズムの手法を生かして書いた場面もあります」

『踏切の幽霊』(高野和明 著、文藝春秋)

幼い頃から幽霊譚に親しんできた

 帯に「幽霊小説の決定版」との言葉もある本書。徹底したリアリズムと、“心霊現象の描き方”との案配が絶妙なのは、高野さん自身が「幼い頃から幽霊譚に親しんできた」からだという。

「母親の読み聞かせに始まり、中岡俊哉さんや平野威馬雄(いまお)さんの実話怪談集、心霊写真集などを小学生の頃から愛読してきました。私は乱歩賞でミステリー作家として世に出ましたけど、フィクションの素材で最も頭に浮かびやすいのは幽霊なんです(笑)。

 幽霊を出すとホラー小説と思われがちですが、この作品は読者を怖がらせるのが目的ではありません。ホラーの枠の外で、我々が現実に遭遇するかもしれない幽霊をリアルに描いた、初めての小説にしようとしました。そこで恐怖を煽るような演出は避け、記者が体験する事実だけを描写してます。

 これまでになかったコンセプトですが、新機軸でありながら王道的な幽霊譚にできたのではないかと思います。誰もが心に抱く死生観や、喪失の痛みについて語る物語にもなりました」

高野和明(たかのかずあき)

1964年生まれ。2001年『13階段』で江戸川乱歩賞を、11年『ジェノサイド』で山田風太郎賞、日本推理作家協会賞を受賞。他に『幽霊人命救助隊』等。

(初出:「オール読物」2023年7月号)