本作の主人公は、工場の設計を請け負う企業で新卒採用を担当しているが、過去に花形のプロセス部から左遷されたことを根にもち、会社への報復をこころみている。採用コストの高さを知る彼女は、安定志向の伝統的日本企業(JTC)である勤務先に対し、従業員が与えうる最大の損害は自己都合退職と考えた。そこで退職した元社員を調べてみると、優秀なだけでなく、顔がいい、つまり顔に黄金比があることに気づく。今年も就活解禁日をむかえた彼女は、黄金比の顔をもつ応募者のみをひそかに選考に残し……。
新卒採用の広告屋だった私は、本作を読みながら「顔採用」という言葉を思い返していた。新卒採用の評価項目は主体性や協調性など、企業が求める人物像にあわせて様々だが、中でもタブーとされるものの一つが容姿、いわゆる顔採用だろう。顔採用を実施していると謳う企業はまず皆無と言っていいが、自覚の有無にかかわらず今も厳然と存在しているし、向後も残りつづけるにちがいない。
容姿で人を選別することは差別を生み出しうる。これは歴史が幾度となく証明してきたことだが、なぜ顔採用はなくならないか。ある者は、一緒に働きたい人を選んだら結果的にそうなったと述べ、別の者は、顔がいい奴は売れるとうそぶく。そこには様々な事情が絡んでいるのだろうが、突き詰めれば根っこは同じなのかもしれない。作中、主人公はこう述べている。「きれいな顔の学生が好き。(中略)実際は私が好きというよりは、皆が好きなのだ。こっちが腰を抜かすほど、皆のほうが黄金比に夢中なのだ。そうだろ」
そうなのだ。顔のいい学生は次々と内定を獲得し、そうでない学生は「縁がなかった」と曖昧な判断で不採用通知を送られつづける。華やかな有名企業には顔のいい社員ばかりが揃い、冴えない企業には顔のいい社員が少ない。誰も認めたがらないだけで、それが実態なのだろう。
本作は、黄金比の顔をもたない主人公の復讐を通じ、顔採用がはびこる新卒採用業界に、いや、ルッキズムが空気のごとく存在する今日の社会に疑問を呈しているとまずは言えるかもしれない。ただ、社会風刺をこめた復讐譚とすると、落ち着かない気分になってしまう。主人公には、それを果たさねば前へ進めぬといった、復讐にともなう必死さが希薄に感じられる。ともすれば復讐が遂げられなくともかまわないといった恬淡さがつきまとっている。といって退職する気も出世する気もない。毎年毎年、ただひたすらに黄金比の顔をもつ学生を選考に残すのだ。
そうしたどこか醒めた主人公の態度はどこから来るのだろう。もしかしたらそれは、ルッキズムに蝕まれた社会への義憤というより、なお差別の温床に蓋をしようとする社会への諦念なのかもしれない。
いしだかほ/1991年埼玉県生まれ。東京工業大学工学部卒。2021年「我が友、スミス」がすばる文学賞佳作となり、デビュー。同作は芥川賞候補にもなった。他の著書に『ケチる貴方』、『我が手の太陽』。
しんじょうこう/1983年、東京都生まれ。2012年、「狭小邸宅」ですばる文学賞を受賞。近著に『夏が破れる』など。