会社を辞めたんだよね、と友人から報告されることが増えた。
安定したポジションを得てこれからという時になぜ? と疑問だったのだが、その答えが、大島真寿美の新作長編『たとえば、葡萄』を読めば見つかるかもしれない。
この物語の主人公・美月(28歳)は唐突に会社を退職してしまう。転職先も決まっていないのに無謀極まりないが、彼女は言うのである。
――もうこんな会社にいたくない。
なぜそう思ったのか、彼女には説明できない。会社のせいなのか、自分のせいなのか、わからないまま、ふしぎな強い衝動にかられて辞めたのだ。
母の友人でゴーストライターの市子の家に転がりこんだ美月は、自分とは異なる職務経歴の友人知人と再会し、対話を重ねていく。
病気を機に退職してネットショップをしているまり。手作りマスクの生産を始めたデザイン事務所の社長の三宅。元主婦の起業家・辻房恵(つじふさえ)。同じく会社を辞めた友人の香緒。
異業種の人と話をするのは転職の成功要因だといわれる。それでも、なぜ会社を辞めたのかという彼女の問いへの答えは、そう簡単に見つからない。その答えは、これからどう生きたいのか、という問いにつながるからだ。
無職のまま動き出せずにいる美月をコロナ禍というカタストロフィが襲う。就活がますます厳しくなるなか、彼女は元不登校児のセブンが働いているぶどう畑で収穫の手伝いをすることになる。
この、ぶどう畑での労働に没頭していくシーンが圧巻だ。
「ただぶどうの収穫の手伝いをしているだけなんだけども、わたしも生き物として喜んでいる気がしてならない」と美月は手を動かしながら考える。
政治哲学者のハンナ・アーレントは、人間の営みを「労働」「仕事」「活動」の3つに分け、それらが人間と他の動物とを区分しているとした。「労働」は生命を維持するための営みであり、ぶどう畑で美月が取り戻したのはまさしく「労働」その本質だ。
その喜びに突き動かされた彼女は、生命を超えるものを作る営みである「仕事」や、他者との共同行為である「活動」がもたらす喜びも取り戻していく。彼女が勤めていた会社では得られなかった感覚である。
コロナ禍は私たちの仕事観を大きく揺さぶった。エッセンシャルワーカーが社会を支えていることが再確認され、多くの人たちが自分の仕事の意味は何かという問いを突きつけられた。
美月のようにコロナ禍の前から、その問いに気づいて、立ち止まっていた人もいる。彼女の心に起きた大変化は、これから私たちに起こる大変化かもしれない。
この小説はたぶん予兆なのだ。
おおしまますみ/1962年、愛知県名古屋市生まれ。1992年「春の手品師」で文學界新人賞を受賞し、デビュー。2019年『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』で直木賞を受賞。ほかの著書に『虹色天気雨』『ピエタ』『あなたの本当の人生は』『ツタよ、ツタ』など。
あけのかえるこ/1979年、東京都生まれ。2018年に刊行した『わたし、定時で帰ります。』は、続篇と合わせてドラマ化された。