『キリンの首』(ユーディット・シャランスキー 著/細井直子 訳)河出書房新社

 もう20年以上前になるが、私の知り合いのA氏が茨城県つくば市の研究所に就職した。しばらくしてA氏は結婚し、仕事も順調だったらしい。そんな折に東京で学会が開かれ、その懇親会の席で、東京に住んでいるB氏が、A氏に向かって言ったそうだ。「かわいそうだねえ」と。

 つくば市は、およそ300の研究関係の施設が集まる、いわゆる研究学園都市である。周囲には昔ながらの民家や田畑が存在するのだが、そのなかに大きな道路や街並みが整備された研究学園都市がこつ然と現れる。両者の境界はかなり明確だ。

 B氏はそういう研究学園都市に好意的ではなかったようだ。そのため、東京から離れて、不自然で人工的な都市に閉じ込められて暮らすA氏のことを、気の毒だと思ったらしい。

ADVERTISEMENT

 しかし、そんな同情は、A氏にとって余計なお世話である。どうして同情されなくてはならないのだと、A氏は憤慨していた。

 場合にもよるだろうが、かわいそうだと同情することって、結構失礼なことなのだ。

『キリンの首』の主人公、インゲ・ローマルクも同情されたら憤慨する人物だ。彼女は旧東ドイツの片田舎で暮らす女性教師で、もう若くはないし、いろいろと困難な状況に陥っている。しかし、そんなことは意にも介さない。なぜなら進化論を信奉するあまり、弱者が淘汰される現象を、日常生活にまで適用しているからだ。そのため、それが自分であれ他人であれ、困っている人を冷静な目で見るだけで、同情なんかしないのである。

 インゲ・ローマルクのクラスの生徒は12人だ。彼女は生徒に対してびっくりするぐらいドライである。あまりにドライすぎて、ユーモアさえ醸し出されてくる。ところが、同情を必要とする女子生徒に同情しなかったために、大きなものを失っていくのである。

 この小説の大きな特徴は、インゲ・ローマルクが博識な生物学の教師だという点だ。そこかしこにちりばめられた細密な挿絵には、誰しも目を奪われるだろう。そして、生物学の知見が、彼女の生活にメタファーとして絡みつきながら、物語は進んでいく。

 著者はこの小説を、主人公の成長過程を描く「エントヴィクルングスロマン(発展小説)」だと言うが、「エントヴィクルング」には「進化」という意味もある。おそらく著者は、「エントヴィクルングスロマン」に「進化小説」という意味合いも掛けているのだろう。

 よく誤解されるが、進化は進歩ではなく、単なる変化だ。インゲ・ローマルクも、成長というより、悪い意味で年を取っていく。過疎化の進む故郷にとどまり、ますます偏屈になっていく。でも、それも進化の写し絵なのだ。読者は彼女に同情はしなくても、共感はしてしまうかもしれない。人生は、はかないものだ。

Judith Schalansky/1980年、旧東ドイツ生まれ。作家・ブックデザイナー。『奇妙な孤島の物語』は世界的ベストセラーに。『失われたいくつかの物の目録』でヴィルヘルム・ラーべ賞を受賞。本書は「もっとも美しいドイツの本」に選ばれた。
 

さらしないさお/1961年、東京都生まれ。分子古生物学者。武蔵野美術大学教授。著書に『「性」の進化論講義』等がある。