なぜ「ブルーカラー=差別用語」になるのか?
会社の優劣を付ける言葉として、「ホワイト企業」「ブラック企業」なる言葉が巷(ちまた)ではよく使われているが、「ブルーカラー=差別用語」と勘違いしている人のなかには、この「ホワイト企業&ブラック企業」の「ホワイト」が意味する「優」を、そのまま「ホワイトカラー&ブルーカラー」の「ホワイト」と同じ意味で捉え、その対極にあるブルーカラーを知らぬ間に「劣」と連想しているんだと思う。
ちなみにだが、私は「ホワイトカラー&ブルーカラー」ではなく、わざわざ人種の色を使って優劣を表現する、「ホワイト企業&ブラック企業」のほうこそむしろ差別的だと感じ、日ごろから使っていない。
また、このブルーカラーという言葉はご存じの通り英語だが、その本場アメリカでは、ごく普通に使われていることも申し添えておく。
有力紙「ニューヨークタイムズ」や「ウォール・ストリートジャーナル」が、ラストベルトの労働問題を取り上げる際などでも、ブルーカラーという言葉は必ず紙面に載っているが、本場がよくて日本がダメというのは何の理屈なのか。
他に別の言い方があるならばそれを使えばいいとも思うが、ブルーカラーやホワイトカラーの代替語があるわけでもない。いや、むしろ「ブルーカラー」は「肉体労働者」という露骨な表現の代わりに使われ始めた言葉だ。
そうした代替語がない中で、「ブルーカラーなんて差別用語を使うな」というのは、ブルーカラーが抱える特有の問題に対して、提起する機会を失わせることにも繫がる。ブルーにおける労働問題は、ホワイトと区別しないと語れるわけがない。そういう意味では、「ブルーカラーとホワイトカラーをわざわざ区別するな」という指摘は、実に無責任な言葉だと感じる。
私がブルーカラーとホワイトカラーを敢えて区別して話すようになったのは、工場をやっていた時、某大手元請の役員がうちの工場を視察に来た時の出来事がきっかけだ。