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隠れたブルーカラーに対する差別意識
普段はスーツを着て仕事をしている人たちだというのは、5、6人揃ってシワもシミもなく、パリパリの折り目が深く刻まれた作業服を着ていることですぐに分かった。
工場の一角にはビーチにあるようなプラスチックの丸いテーブルとイスがあり、彼らは視察後そこに腰かけ、社長である父と営業、工場長と談笑。小一時間で話を済ませると一斉に立ち上がったのだが、その時に取った彼らの行動が、会社をたたんで10年経つ私の脳裏に、今でも強く焼き付いて離れないでいる。彼らは起立後、こう言いながら自分たちのお尻をパンパンと払い始めたのだ。
「あああ、汚れちゃったよ(笑)」
作業服は、汚れてナンボである。それを笑いながら気にする人たちに、ブルーカラーの現場の何が分かる。
ブルーカラーとホワイトカラーは、働く環境も抱える問題も立たされている境遇も全く違うと気付いた瞬間だった。
「ブルーカラーは差別用語だ」と指摘してくる人たちは、自分たちにこそ「ブルーカラーは誰にでもできる仕事」「転落した先でする仕事」といった潜在的な差別意識があることに気付いていない。そう思っていないと、そんな指摘は生まれるわけがないのだ。
こうした過剰な「配慮」が社会からの「排除」にもなり得ることを、世間は知っておいたほうがいい。(#3に続く)