「いらない相続不動産」も対象に
あまり注目されていないが、2024年4月1日から実施される相続登記義務化も、増税とはいえないものの、眠っていた納税資金をあぶりだすものである。この施策は相続で取得した不動産についてはすべて登記を行うことを義務付けるもので、過去の相続分にもすべて適用され、登記を行っていないと過料を課せられるものだ。親から相続した田舎の実家や山林など登記を怠っている不動産は山のようにある。
登記を行えば、登録免許税が課税される。所有者が明らかになることによって毎年の固定資産税の捕捉が容易になる。これまではその存在すら忘れかけていた「いらない相続不動産」についてもすべて課税対象になってくるのである。
国はあらゆるところから税金のネタを見つけ出し、相手が弱いとわかれば課税強化してくる。常に「税負担の公平性」を主張するにしては、政治家や宗教法人、大企業などに対しては及び腰である。資産数十億にもおよぶ超富裕層などはタックスヘイブンなどに資産を移転。富める者はますます富める構造になっているのが今の世の中だ。
二極化社会になりつつある日本
ようやく多くの日本人も気が付き始めたが、日本にはかつて存在した中間層なる多数派はすでになく、富裕層とそうでない層に分断された、はっきりとした二極化社会になりつつある。「そうでない層」の代表である羊のようにおとなしい、思考力を失ったサラリーマンたちは、どうせ気づいたとしても「しかたがない」と言い、選挙になっても「ほかに入れる政党がない」とか「野党がだらしがないから」などと独り言を言って既存与党に入れるか、選挙に行かないことで現状を追認する。
それは自分たちが会社の決定や命令には不平不満があったとしてもとにかく従う。従っていれば悪いようにはならない、という会社信仰にもとづく思考といってもよいかもしれない。政策立案側にもそうしたサラリーマンをはじめとした多くの一般国民の諦観を利用しているフシさえ感じられる。
だが、激しい物価高と相次ぐ増税、社会保障費の引き上げはいくらなんでも「舐めすぎ」だといえないか。誰も声を上げずに黙っているのであれば、結果は厳しい方向にいくのではないか。志のある若くて優秀な層は日本という国に嫌気がさして日本を離れていくだろうし、高齢者と現状追認のサラリーマンがつつがなくこの国で生きていける時間の余裕はもうあまり残されてはいないのである。