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 たとえば、学習院女子部では、歴代皇后から下賜された「御歌」が今も歌い継がれています。その重要度は高く、入学して最初に学ぶのは、古文の授業で御歌の意味、音楽の授業では歌い方です。

 特に女子部生の「心の糧」となっている御歌は、昭憲皇太后(明治天皇の妃)が1887年に華族女学校に下賜した「金剛石・水は器」です。これが事実上の校歌として入学式などで歌われているのです。

隔絶された「女の園」

 他にも名残を感じさせるのは、「女子部言葉」でしょうか。筆者が生まれた頃、昭和40年代にはまだ「ごめん遊ばせ」といった言い回しが生きていたと聞きます。

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 現存する唯一の女子部言葉が「ごきげんよう」でしょう。かつて華族の家庭で普通に使われていたもので、「おはようございます」「さようなら」も全て「ごきげんよう」です。

 守衛さんに「ごきげんよう」とあいさつする生徒を遠目に見て、近隣の学校に通う学生は別の世界のように感じた、と聞いたこともあります。

眞子さん 宮内庁提供

 その近隣の学校としては、隣接する東京都立戸山高校と新宿区立西早稲田中学校があげられます。

 しかし、両校と女子部との交流は全くありません。戸山高校とはグラウンドが隣接しており、部活や体育の授業で、たまに先方の敷地内に入り込んでしまうボールを投げ返してもらっていましたが。徒歩圏内に複数のキャンパスを構える早稲田大学との交流も不思議とありません。隔絶された「女の園」と言えなくもないでしょう。

 筆者が学習院女子部在籍時に「戸山高校と交流会を持つことはできませんか」と先生に進言したことがありましたが、あっさり却下され、残念に思ったことを覚えています。「万が一なにかのトラブルが起きても困る」といった考えがおありだったのかもしれません。

 学習院女子高等科と他校との公式な交流は唯一、東京・目白にある学習院高等科(男子部)と、筑波大学附属高校(東京都文京区)との間で年1回、行われてきた運動部の総合定期戦「附属戦」くらいです。筑波大附属側では「院戦」と呼んでいます。

 2021年に第70回の開催を迎えた歴史ある交流試合で、運動部の対戦を、生徒たち総出でサポートします。目白が会場となり、エール交換では筑波大附属の校歌「桐陰会会歌」、学習院の校歌「学習院院歌」を互いに歌いあいます。

 筆者自身も運営側として、同年代の筑波大附属の生徒たちと準備に当たりました。ふだん縁のない男子生徒たち、それも進学校の人たちとの交流は刺激になり、大変楽しかったことを覚えています。

 とはいえ交流はそれまでで、一緒に運営に当たった筑波大附属の生徒に「学習院大学も受験しますか」と聞いたら「そんなつもりは毛頭ない」と一蹴されたのが印象に残っています。「東大に進むような頭のよい人たちに、我々など全く相手にされないのだな」と考えておりました。