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 そんな中でも女子部生は、学習院男子部を始め、男子校の文化祭には友人同士で連れ立って出かけたりもしています。休日にそうしたところへ行くことを、禁止されているわけではありません。「制服姿では行かないように」と先生から釘は刺されておりました。

 例えば当時近くにあった早稲田実業は高校野球の強豪校であり、私を含む多くの生徒たちが文化祭に足を運びました。1980年代に甲子園で活躍した荒木大輔選手(現野球解説者)の「追っかけ」に励んでいた生徒もいました。他校の男子生徒とお付き合いに発展したケースも少なからずあったはずです。

 ただ、それ以上に多かったのは、かっこいい同性の先輩に憧れ、こっそり手紙を渡し、文通に至るというケースでした。今なら少なくともメールでしょうが、まあ、女子校らしい校風ではあります。

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最初に付き合った男子学生と結婚するケースも…

 実際に身近にいる男性は教諭のみ。教育実習で学習院大学から派遣されてくる学生も含め、男性教諭は大人気で、生徒と結婚に至る例もありました。そんな女子のみの「純粋培養」ですから、生徒たちには同年代の男性への免疫があまりありません。

 筆者は、大学に進学した途端、最初に付き合った男子学生と、純愛を貫いて結婚する、という例をたくさん見てきました。親が決めた相手とのお見合い結婚も多くあります。

 華族女学校の頃の教育を評して「超高級花嫁学校」のようなものだったと評していた人もいます(浅見雅男『学習院』)。もちろん戦後はそうした教育からは離れて行ったのですが、それでもどこか名残のようなものはあったのかもしれません。

 もともと眞子さんの場合は、常に皇宮警察の護衛がつかず離れず側にいたでしょうから、いろいろなところに出かけ、誰彼となく気軽に交流できる立場ではなかったでしょう。大学入学まで、あまり男性との接点は多くなかったと推察できます。そんな環境で育った眞子さんが、学習院ではなくICUへ進学して出会ったのが小室さんだったわけです。

©JMPA

 少し時間はかかったものの、小室さんが弁護士となったことで、ご夫妻の生活が新しい局面を迎えたのは間違いありません。ご本人たちにとっては「大きなお世話」かもしれませんが、おそらく学習院関係者たちは、どこか身内のような気持ちを抱きながら、今後もお二人を見続けることでしょう。