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 2021年になり、結婚が本決まりになった背景に、ニューヨークにおける小室さんの「就職内定」がありました。

2021年10月に婚姻届を提出し、記者会見に臨んだ小室圭さんと眞子さん ©JMPA

 フォーダム大学のロースクールを卒業してマンハッタンの法律事務所に助手として就職する、とのことでした。もちろん助手のままでいるつもりはなく、現地の司法試験に合格して弁護士になるつもりだったのですが、2度の失敗を経て3度目に合格するまでには1年近い時間がかかったのは周知のことでしょう。

 合格自体はとても喜ばしいことですし、時折伝わってくる現地での夫妻の様子を見る限り、とても充実した生活を送っているようです。

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 ただ、米国で活躍する日本人弁護士の多くは、日本の司法試験に合格し、弁護士資格を持って法律事務所に入り、仕事をした上で米国の弁護士資格を取るために派遣される、というのが通常コースです。

 ではなぜ、そうしたオーソドックスなコースを辿ろうとしなかったのか。それだけ急ぐ必要があったとすれば、眞子さんの思いが関係していたということでしょうか。

眞子さんの一途さに感じる危うさ

「皇室を出たい」一心で、結婚に走ったらしい眞子さんの一途さには、同時に「危うさ」を感じます。おそらく男性に免疫のない「純粋培養」の環境で、「お嬢さま学校」を経て大学に進み、人生で初めて本格的にお付き合いしたであろう男性にほれ込み、その一途な思いを貫き通した。そのように筆者の目には映りました。

 いま「純粋培養」という表現を用いましたが、眞子さんが小室さんと出会う前、すなわち幼稚園から高校まで、学習院ではどのような教育を受けていたのかを見てみましょう。

 学習院は幼稚園、初等科、大学は共学ですが、中学・高校は男女別学で場所も別です。

 眞子さん、そして筆者の母校でもある学習院女子中・高等科(学習院女子部)は東京都新宿区戸山にあります。JR高田馬場駅から徒歩20分、東京メトロ東西線の早稲田駅からは徒歩8分、副都心線の西早稲田駅からは徒歩1分ほど。駅名が示すように、早稲田大学のキャンパスに近く、江戸時代には尾張徳川家が下屋敷としていた地域です。戦前には近衛騎兵連隊の兵舎があり、その跡地に戦後の1946年に移転してきました。

 もともと学習院は皇族に仕える華族のために設立したという経緯があります。女子部の前身は、華族女学校という名称でした。その「伝統」の名残はいまでもあります。