大阪出身の水川は、小学生の頃、ドラマ『家なき子』で自分とさほど年の変わらない安達祐実が活躍するのを見て、自分もこういうことがしたいと母親に相談したという。これをきっかけに、母親の知り合いの紹介により13歳で東京の芸能事務所に入った。CMでデビューしたのに続き、映画『劇場版 金田一少年の事件簿 上海魚人伝説』(1997年)のオーディションに合格して俳優デビューを果たす。
それからというものドラマや映画に多数出演してきた。前出の山田孝之とはまだ10代の頃、ドラマ『ロング・ラブレター~漂流教室』(2002年)で恋人役で共演して以来の仲だ。
ドラマ『のだめカンタービレ』(2006年)に出演時には、演出の武内英樹から、《人に媚びず、さっぱりしているけど情に厚い。シャープな顔立ちですが、23歳という若さに似合わない人生経験の豊富さがかいま見られる》、《でも、仕事を離れると、子供みたいに無防備であっけらかんとした顔を見せてくれる。そんな部分からも彼女の人としての奥行きを感じます》と評された(『anan』2006年12月6日号)。この頃から周囲に一目置かれる存在であったことがうかがえる。
撮影現場で感じた「深い悲しみ」
ただ、当の水川は、俳優としてはっきりとした目標がなかなか見出せず、何となく不安を抱いてもいたという。そんななか、20代も後半に入っていた時期に出演したのが前出の『江』であった。
1年間放送される大河ドラマだけに、役と向き合う時間が長かったこともあり、役と自分の距離を縮めることができたという。演じた初の母である市が自害するシーンの撮影では、リハーサルから感情を抑えられず、一日中泣き続けた。
《芝居をしていて、これほど深い悲しみを感じたことはなかった。同時にそういう感覚を味わえたことで、私の中の迷いが一気に吹っ切れ、それまで以上に演じることが楽しいと思うようになれた》と、のちに振り返っている(「朝日新聞×マイナビ天職 Heroes File Vol.118」2014年7月17日配信)。
あっけらかんとした性格は、キャリアを重ねてもあいかわらずのようだ。お笑いタレントで脚本家でもあるバカリズム(彼自ら脚本を手がけたドラマ『住住』など共演した作品も多い)によれば、水川は本当にスタッフウケがいいという。スタッフ会議でも彼女の悪口を言う人は一人もおらず、「こんな何もややこしくない女優さん初めて!」とみんな口をそろえて言うらしい。バカリズムからそう教えられて当人は、《あはははっ! むしろ、ちょっとややこしくありたい》と応じている(『AERA』2020年8月3日号)。