太平洋戦争中、激戦地のひとつだった硫黄島。遺骨収集に加わった記者が悲劇の島で見た光景とは――。ここでは『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』(講談社)より一部抜粋。硫黄島で戦い散った日本兵たちの頭部が吹き飛ばされている理由に迫る。(全2回の前編/続きを読む)
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「首なし兵士」の衝撃
遺骨収集作業は上陸翌日に始まった。
壕の入り口付近で見つかったその兵士の遺骨は、頭だけが粉々だった。
「頭がそっくりない遺体が多い島なんだよ」
約10年前から毎年、遺骨収集に参加している神奈川県のベテラン団員の水野勇さん(74=年齢はいずれも当時=)がそうこぼした。一部の骨片には鉄が付いていた。近くでは手榴弾の破片も見つかった。
ここは硫黄島の北端。「矢弾尽キ果テ散ルゾ悲シキ」との訣別電報などで知られる硫黄島守備隊の最高指揮官栗林忠道中将がいた司令部壕から400メートル北東側だ。1932年ロサンゼルス五輪馬術金メダリストで戦車部隊を率いたバロン西(西竹一男爵)が消息を絶ったと伝えられる地からも近い。