東京オリンピックの選手村になり、キャンペーンガールが登場して…
1964年には、東京オリンピックヨット競技に参加する選手たちの選手村としても使われた。東京湾など東京近郊の海の汚染が話題になっていたこともあってか、この頃にはすでに首都圏のプールリゾートとして知名度を高めていたようで、新聞などにもたびたび取り上げられている。
当時は大小7つのプールを持ち、1日1万トンの地下水をくみ上げてプールの水として使っていた。ターゲットはファミリー層、というのは当時も変わらず、「幼児からパパまで遊べる」をモットーにしていたらしい。選手村を使った外国人選手も、「日本に行く機会があったら大磯ロングビーチで遊びたい」というほどの、日本一のプールリゾートとしての地位を確立していた。
そして、ちょうどその頃には“キャンペーンガール”が日本に登場する。第一号は1966年の資生堂、前田美波里だとされる。以後、大手企業を中心にこぞってキャンペーンガールが登場し、1976年に初代クラリオンガールに起用されたアグネス・ラムが一大ブームを巻き起こす。何を隠そう、大磯ロングビーチの初代キャンペーンガールも、アグネス・ラムである。
つまり、大磯ロングビーチのキャンペーンガールは、そうした時代の潮流に乗っかって、ということである。その後、80年代にはフローレンス芳賀、90年代には山田まりやや佐藤江梨子らがキャンペーンガールを務めている。しかし、バブル崩壊後の不景気と時代の変化を受けて、2003年限りで一旦廃止された。
「はっきりしたことは言えませんが、ファミリー層のお客さまが増えてきたことも関係していたのかも知れませんね。その後、2012年には開業55周年を記念して、9年ぶりのキャンペーンガールとしてアイドリング!!!さんを起用しています」(岡澤さん)
「元祖リゾート地」老舗プールの今
一時は復活したキャンペーンガールも、翌2013年を最後に再び姿を消した。もはや大磯ロングビーチに限らず、キャンペーンガールが時代とあわなくなっていたのかもしれない。そうして大磯プリンスホテルがリニューアルまでして生まれ変わったいまとなっては、もはや大磯ロングビーチの名物だったキャンペーンガールが復活することはないだろう。遠い歴史の1ページ、である。
「飛び込み台は昔からある施設で、ちょっと懐かしさを感じる人もいるみたいですね。また、オフシーズンにはテレビのロケにも応じています」(岡澤さん)
昔ながらの大磯ロングビーチの良さも、もちろんところどころに残る。そして……。
「新しいスパ棟のサウナは、サウナブームもあって『サ道』にも取り上げられているんです。若い女性のお客さまも増えています。もちろんファミリー層はいままで通り。ホテルに宿泊される方には、50代・60代の方も珍しくありません」(岡澤さん)
大磯という町は、伊藤博文や吉田茂といった政財界の要人たちが屋敷を構えた、いわば元祖・リゾート地。プールにはしゃぐのもいいけれど、それだけではなく、じっくりとプールとサウナと眺望絶景の温水プールで贅沢な時間を堪能する、そんな楽しみ方も悪くない。そしてそれが、いまの大磯ロングビーチだ。
大磯という町の歩みを含めて考えるならば、いまの滞在型リゾートの大磯ロングビーチ&プリンスホテル、本来の大磯らしさをいちばん感じられる施設なのかも知れない。
写真=鼠入昌史
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