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ソ連兵への「いけにえ」にされた女性は蔑視された…満蒙開拓団の少女が証言する「性接待」のやるせない記憶

source : 提携メディア

genre : ライフ, 昭和史, 社会

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命がけで女性を守った子どもたちのたくましさ

合図を送るのは子どもたちの役割で、我先にと屋根に上って旗の上げ下げを行った。命がけの日々にもかかわらず、「匪賊」やロモーズが帰ってしまえば、不思議なほどに、みな開き直って明るく、子どもたちは「軍隊小唄」(1939年)をもじって次のような替え歌さえつくった。

「ロモーズの歌」

今日も来る来る、ロモーズが/大和坂を馬で来る
女探しに来るのでしょ/おばさん、逃げる、その姿
ホントにホントにごくろうさん

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子守や家畜の世話でほとんど学校へ通えなかった栄美にとって、敗戦は大きな転機となった。1944年、山で大けがをした父と父に付き添った母、さらに肋膜を病んだ兄が診療所へ入り、家を留守にしていた間、国民学校4年生だった栄美は、妹弟たちの食事の用意と、豚や馬、鶏の餌を炊くことで精いっぱいの日々だった。友達が学校へ行く間、栄美は1人でオオカミの出没する山へ「焚きもの」(薪)を採りに行かねばならない。学校へ行くどころではなかった。

学校へ行かないと、両親が監獄へ入れられる?

そのようなある日、校長先生が狩りで栄美の家の近くを通ると知って嬉しくなり、庭を掃き、髪をとかして待ち、その姿を見つけて大声で挨拶し、丁寧なお辞儀をした。校長先生は、「おー、あまり学校を休んでばかりおると、お父さんとお母さんが監獄へ入れられるぞ」と言って通り過ぎた。「校長先生が言われることだから本当だ!」と思った栄美は、それ以来、恐怖の日々を過ごした。

敗戦の報が届いたと同時に、学校は閉鎖となった。「学校がなくなる。みんなも学校へ行けなくなる。私ばっかりじゃない」。誰にも言えずずっと胸に秘匿していた、父母が監獄へ連れて行かれるという恐怖から解放されて、やっと安心した。それ以降、みんなと気楽に遊べるようになった。「匪賊」が襲来しても、団のエライ人から「死ね」と言われても、みんなと同じでいられることは、栄美にとって嬉しいことであった。