久美さんは続けた。
「公園付近にいたり、ハイジアの階段で座ったり、数時間ごとに場所を変えてね」
一つの場所でじっとしているのはさすがにキツい。これは、長年の経験から編み出した効果的に客を取る久美さんなりの処世術でもあるようだ。ところ変われば品変わる。よく言われるように、新規客の目にとまりやすくしているのだという。
さて、着替えや防寒具の類はどうしているのか。久美さんは今日も使い古した大きめの紙袋とナイロン製のエコバッグを持っていた。中身を確認させてもらうと、大きめの紙袋にはラブホやネットカフェで入手したであろう使い捨ての歯ブラシやコットンや替えの下着類が、エコバッグには財布や化粧道具などが乱雑に入れられているだけだった。まさかいまあるもので私物は全部じゃあるまい。
他の荷物は近場のコインロッカーに預けていることがわかり、そこまで案内してもらうことになった。追加料金を投入してカギで扉を開ける。
なかからA3ノート大のエコバッグ一つだけが覗く。中身は使い捨てのポリエチレン袋の束やタオルなど、久美さんからしたら是が非でも取っておきたい代物かもしれないが、僕からすれば取るに足らないものばかりだ。
誤解を恐れずに言えばゴミである。理解不能で、まだどこかに隠されているのではとの疑念も浮かぶが、久美さんの私物は本当にこれで全部らしい。
久美さんはケータイ電話すら持っていなかった。最後に娘と連絡を取ったのは、まだケータイが生きていた4年前。元気にしているか。コロナになってなどいないか。
僕が久美さんのいまやこれからを憂えるなか、自分ではなく娘のことだけが気がかりだと最後に言って、久美さんはいつもの場所、そう大久保公園のほうへ向かってゆっくりと歩いていった。
忘れられない光景
久美さんと過ごした数日間のなかで、忘れられない光景がある。
うずくまる久美さんを、僕が背後から気づかれないように覗き込んだときのことだ。久美さんは、手にするピンセットの先を歯と歯の隙間にあてて歯間ブラシのようにして歯石を取っていた。それは、あるはずもない何かをほじくり続けているようだった。
初対面の日も、日高屋で中華そばを食べた日も、何かに取り憑かれたように手を動かしていた。僕が「何をしてるんですか?」と問うと、マズい場面を見られてしまったといった表情をして、咄嗟に上着のポケットのなかにピンセットをしまった。
その不可思議な行動は、そのまま取材時にも感じていたある疑念へと繋がる。過去に取材した立ちんぼの一部がそうであったように、やはり、どこか心の病を抱えているのでは──眠剤や向精神薬の類は確認できなかったにしても。
が、僕はそれについて問うことをついにしなかった。なぜなら、これは久美さんと少しでも触れ合えばわかるのだが、聞いても明確な答えなど返ってこないと思えたからだ。
いまも僕は、時間があれば大久保公園に寄る。
今日はいるな。さすがにこの雨ではいないか。わざわざ探しはしないまでも、たまの彼女の姿を見つけてどこかホッとする自分がいる。
久美さん、どうかこれからもお元気で。