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そこで持ち上がったのが、「次は文楽でやろう」との計画だった。
「私が担当だった、という事実は重く心にのしかかりました」
当時、織田氏が三島とともに取り組んでいた同作は、上・中・下の巻という三部構成になるはずだった。打ち合わせでの三島の口述を聞き取り、台本に落とし込むのは織田氏の役目。そこに三島が目を通して、エンピツでルビを振り、修正を入れるのが常だった。死の2日前、三島が修正を入れ、織田氏に手渡したのは上の巻のみ。中・下の巻の台本はまだ完成していなかったからだ。
「私が文楽版『椿説弓張月』の担当だった、という事実は重く心にのしかかりました。思い返してみても、先生からは一度も中・下の巻を急ぐよう、こちらを促す指示や催促はなかったのです。(中略)ですが、……」
長い間、織田氏が抱いていた“後悔”とは何だったのか。初めて公開される未完の遺作とともに、織田氏が明かした。
三島最後の夏、下田でともに過ごしたドナルド・キーン氏の抱いた違和感、「どうしても付き合ってほしい」と三島が織田氏の舞台稽古を中断させてまで連れていった先、そして自決前夜、自宅の3階で繰り返し聴いていた曲とは……。
三島が亡くなる直前の約2年のあいだ、公私ともに親交の深かった織田氏の語る三島由紀夫の素顔は、「文藝春秋」2023年9月号(8月10日発売)に掲載。「文藝春秋 電子版」(8月9日公開)では、全文に加え、誌面に載せきれなかった貴重な写真も多数掲載している。
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初公開 三島由紀夫「未完の遺作」
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