「告発」がきっかけで世間の耳目を再び集めることに
鬼籍に入った北に真意を質すことはもはや叶わないが、豊川がデビューした頃には、すでに北が所属するフォーリーブスの人気は下降線をたどっていた。移り気なジャニー氏の寵愛が後輩に向けられたことに複雑な感情を抱いていたとしても不思議ではない。
その後、ジャニーズの最初の黄金期を支えたフォーリーブスは1978年に解散し、直後に北も事務所を退所。1979年に覚醒剤取締法違反容疑で逮捕されると、凋落は決定的となる。一方の豊川もジャニーズを去ってからは不遇の時を過ごした。
2人が再び世間の耳目を集めたのは、くしくも同じ「告発」を行ったことがきっかけだった。
北は1988年に自身の半生を綴った自伝「光GENJIへ」を出版し、ジャニー氏から受けた性被害を暴露した。一方の豊川も、1997年に、「ひとりぼっちの旅立ち——元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記」でジャニー氏との関係を明らかにしている。
「ジャニーさんのひざの上に乗って…」
これらの作品中にある「セクハラ行為」の記述は、ジャニー氏の「性加害」を追及した1999年の「週刊文春」のキャンペーン報道をめぐり、ジャニーズ事務所が、発行元の文藝春秋を訴えた名誉毀損裁判でも注目を浴びた。
2003年7月15日の東京高裁判決は、セクハラに関する記事を指して「重要な部分について真実であることの証明があった」として、文春の記事のジャニー氏の「セクハラ」に関する部分の真実相当性を認めた。と同時に、北と豊川それぞれの著書での「セクハラ行為」の記述にジャニー氏側が抗議しなかった点を指摘している。
ジャニー氏が積極的な反論・反証を行わなかったことが判決に影響を及ぼしたのだ。
とはいえ、当事者である豊川には性被害者としての意識は薄い。「正直いって仕方ない面もあると思うんです。実際、プロモーターの人にも言われましたから。『ジャニーさんのひざの上に乗って耳舐めなきゃだめだよ』って。僕はそこまでできなかったけど、スターになるためには何でもしなきゃいけない。そういう世界なんですよ」