でも、もう自分のやりたいことを優先していいのかもしれない、こんなチャンスが舞い降りてくることはないと考えました。サイバーエージェントでこの先もずっと働くと考えたときに、ABEMAアナウンサーという存在が誕生したら、それを見ることになるわけですし、受けないと後々、絶対後悔する。これは受けようと決めて、すぐにエントリーシートとエントリー動画を出しました。
あとは結果を待とうという感じだったんですが、実は1回“お祈りメール”が来てるんですよ。エントリーシートを出した後すぐに。絶望したし、会社にも居づらいなと思っていたら、人事の方から「ごめん間違って送っちゃった」と言われて。えー、みたいな(笑)。
アナウンサー合格を知ったとき、トイレに駆け込んだのを覚えてます、嬉しすぎて。もう誰かに言いたくてしょうがなくって、親にLINEしました。「受かったよ」「背中を押し続けてくれてありがとう」って。
千鳥・大悟から「いじりにくいんだもん」と言われて方向転換
――夢にまでみたアナウンサーになれたわけですが、どうでしたか。
西澤 1年目の時は、本当に型にはまっていました。ああじゃいけない、こうじゃなきゃいけないって。キー局の試験に落ちたときと同じでした。
でも、千鳥のおふたりと共演する『チャンスの時間』の収録中のトークの中で、冗談まじりで大悟さんに「いじりにくいんだもん」とおっしゃっていただいたことがあるんです。最初はそれが良いのか、悪いのかも理解できてなかったんですけど、「いや、バラエティーにおいては絶対にダメ」って気づいて、徐々に意識を変えていきました。ただ、自分からいじられにいくのってやっぱり難しいし「いじってもらえるってどういうことだっけ?」って自問自答したり、自然体で笑うようにしたり、試行錯誤してました。
ノブさんもゲストの弘中綾香アナと比較して、私のことを「アナウンサーもどき」って言ってくださったことで、周りの力もあり、いじっていただく機会が増えていきました。
ある時、取材を千鳥さんと3人で受けた際に、大悟さんが私について「こんなにいじりやすいアナウンサーは今いないから、そこを伸ばしてほしい」と言ってくださったことは、とても嬉しかったです。